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▼2006年10月29日

嫌々ながらWindowsを使っている

 日々ウインドウズを使っていて、「なんでだ?」と不条理に感じることはほとんど毎日のようにある。特に不条理というか、誰も不思議に思っていないのが不思議とさえ感じているのが、いわゆるウインドウズ上でのファイル位置と、アプリケーション側からのファイル位置がまるで違うことだ。
 例えばデスクトップ上にあるファイルは、アプリケーション側から見ると、My Documents(しかも「マイ ドキュメント」ではなく英文)の中にあったり、更にDocuments & Settingとかいうフォルダの中にあったりと、全く統一が取れていない。なんでこんな事になっているのか?腹が立ったり呆れたりというより、不思議なほどのセンスの無さである。
 また、私自身こんな単純な問題に文句を付けているWindowsユーザーは聞いたこともない上に、逆にこういった点に文句を付けると「それはデスクトップ上のファイルというのは…」と、聞いてもいないのに得意気になって解説を始め、と同時に話をはぐらかす人がとても多い気がする。なんでなんだ?

 例えばマックユーザーは宗教じみていると良くいわれるが、こんないい加減でセンスのかけらもないインターフェイスになんの疑問も持たずせっせとWindowsを愛して使い続けている人の方がよっぽど宗教じみている。ただ、WindowsはPCの世界で圧倒的なシュアを持っているので、その教典に逆らう人の方が奇異に見えてしまうということなんだろうか。

 昔、千葉麗子というタレントが「世の中のPCは全てマックになってしまえばいいのに」と言ったそうだが、私も切実にそう思う。ただ、純粋にハードウェアの性能だけは、圧倒的にWindows機の方が優れているので、仮に全てマックになった場合、他社でハードウェアを制作することだけは認めてほしい。
 というか、その点だけが、今のWindows全盛時代を築いた原因であると思う。PCに関していえば、世の中は性能より拡張性、またはカオスを望んでいるということなのだろう。

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コメント

macにかんしては「門前の小僧,経を習わずして唱し」のまま,15年が過ぎました。嗚呼,懐かし「漢字トーク6」。

懐かしいですね、漢字トーク。思えばあの6時代が、MACOSが一番完成されていた形態なんじゃないかと思います。

そうそう、誤解している人がいるかもしれませんので(いないかな)一応断っておきますが、私はコンピュータそのものにほとんど関心がありません。故にPCはノートタイプしか買いません。

そして、これ以上基本的な部分でコンピュータが発展する必要性も感じていません。OSのアップデートなんて、正気の沙汰とは思えないのですが、結局数年経つとアップデートしないわけにはいかなくなるので、半歩遅れで世間に付いていきます。

進化の必要性は感じていませんが、機能的な進歩と洗練はもっともっとやって欲しいとは思いますけどね。

そろそろ、進化は止めて、洗練の方向にベクトルを変えて欲しいです。そうならない限り、私はいつまでもPC好きのように振る舞い続けなければなりません(笑)。

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