星形エンジンの気筒数が奇数な事と頭のやわらかさ
いつだったか、雑誌だか本だかを立ち読みしていて、そこに「星形エンジンの気筒数は必ず奇数になる。何故か考えてみよう」みたいな文章があって、私は一瞬頭の中で考えたのだが、3秒くらいで「ああ、なるほどね」と理解できました。そして、それがなんだかうれしかった。
もっとも、私の考えが正解かどうか判らないし(そこに正解は出ていなかった)、その後それについて調べた訳でもない。というか、正解はどうだっていいのだ。それでもうれしかった訳というのは、その星形エンジンの動作風景を、リアルに頭の中で図式化できてシミュレートできたからだ。
一般には歳を取ると頭が固くなる、頑固になる、と言われているが、少なくとも私に限っては全然そんなことないし、おそらくみんなだってそんなことはないと思う。私は歳を重ねるごとにどんどん頭が柔らかくなってくる。どんどん、今まで経験のないことに興味を持っていく。また、物事の考え方も、1つの方法で突き進むのではなく、歳を取るごとに色々な考え方がスムースに出てくる。つまり、どんどん頭が柔らかくなっていると思う。
むしろ、頭が固いのは子供の頃だろう。例えば、子供の頃はたまたま1つの事に失敗しただけで、それに付随する事全てが嫌いになったものだし、また物事の考え方も1つに凝り固まっていることが多かった。例えば本の志向もそうだし、聴く音楽についても1つのジャンルに拘って、違うジャンルに関しては排他的な思想を持ってたりもした。これは、良いようにいえば「若さ故の純粋さ」ともいえるが、分かりやすくいえばなんのことはない、頭が固いだけである。
では、なんで大人達が若者より「頑固・頭が固い」といわれるのかというと、私が考えるに、世間の大人達は歳を取るごとに「素直」じゃなくなっていくのは間違いない。人から何かいわれても、すぐに言うとおりの行動を取らなかったり、また一言文句を言わないと気が済まなかったり、そんな風になってしまった大人は多いのではないだろうか。この状態は頭が固い云々ではなく、単に素直じゃないだけだが、この状態を称して「頭が固い」と言われることが多いからだと思う。
考えてみれば、会社組織の中でも、お客様のクレームを上手くまとめるのは大体歳を取った上司の方だったりする。これはクレーマー側の心理が相手の身分によって変わるというのもあるが、やはり、怒っている人に対して臨機応変に色々な言葉を使い、巧みに事態を収拾する手腕は、頭が柔らかくないとできない。つまり、大多数の大人達は、歳を取るごとに、頭が柔らかくなっていくものだと理解した方が自然な気がする。
そして冒頭の話に戻るが、私が自分自身にちょっとうれしさを感じたことは、こういったことを割と意識せず、頭の中で組み立てる事ができる頭脳というのは、思考方法に臨機応変さが充分身についていると思えたから。単に知識で知っていた訳ではなく、考えて出せた回答だからうれしい。
もっとも、中には「そんなこと、エンジニアでは常識、基礎中の基礎だよ、頭を使うほどの疑問ではない」みたいな反論もあるかもしれない。ただ、そういった思考方法で自分が知っている知識というのは、頭の固さや柔らかさと関係ない上に、このエントリーの趣旨とも関係がない。
そもそも私はエンジニアではないし、そんなエンジニアにとっての常識を知る必要もない。この先本格的に勉強することもないだろう。趣味としてエンジンとかそういう機械には興味があるが、所詮趣味なので、体型だった知識ではない。故にエンジニアにとって常識的な部分でも知識のヌケがある。現に以前このブログで書いたディーゼルエンジンについての記述は、明らかな間違いが何カ所かある。後から人に教えてもらった事や、自分で気がついた事など色々で、もう1回きちんと調べてから訂正しようと思ったのだが、所詮趣味のことなので、まだ訂正していなかったりする。何故なら締切りがないからである(これは別に趣味を軽んじている訳ではない)。
でも、自分が普段から考えていないことで、既知の知識を使い、自分で頭を使って考えて結論を出す…出せる、ということは、例えそれが頭の中だけの行為で、またその結論が正解でなかったにせよ、それは充分な頭のやわらかさが求められる行為なんじゃないかと思う。
ただ、私を含めた大人達は、もっと素直になることについては、真摯に努力した方がいいのかもしれない。