宗教で人は死なない
昔、オーディオ評論家の長岡鉄男が「全ての戦争は宗教戦争である」と言っていた。極端な意見ではあるが、案外コレを信じている人は多いのではないかと思う。
私的には、この「宗教が戦争の原因」という史観はあまり好きではないし、やや乱暴かと思う。何故なら、宗教戦争とされている事件でも、背景を調べると、必ずといっていい程当事者間の貧富の差が見え隠れするからだ。むしろ、宗教はそれらの派閥をまとめるのに利用されているのにすぎず、結果としてそれが「宗教戦争」という形でくくられる事が多いと感じる。特に私たち日本人は、宗教的バックボーンを持っていないので(自らを無宗教であると必死で主張して自慢している人はある意味原理主義者と変わらないと思うのだが如何か?)、歴史に「宗教」という言葉が入ると、それだけで思考停止してしまう事が多いようだ。
現在起きている数々の対立を「宗教がからんでいるから奥が深い」などとしたり顔をして語っている人は、現在起きている数々の対立の背景を知らないし知るつもりもないと、言っているようにしか思えない。
裕福なら、精神的に満たされているのなら、誰だってたかが信仰心で人の命を絶ったり、自らの命を絶つような行動はとらないだろう…。
もっとも、旧日本軍の例もあるので、この主張が全てだと言うつもりもありませんけど。
コメント
そう、「あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」って言った人がいましたね(笑)
30年戦争も、ヨーロッパの国盗り物語みたいなものだし...
投稿者: wati | 2008年01月22日 16:56
>階級闘争
お、マルクスでしょうか(笑)。
歴史というものにひとつの体系的な流れがあるとするならですが、やはりおなかいっぱい食べるためにみんな集合や闘争を繰り返しているんでしょうね。
投稿者: よっち | 2008年01月23日 09:56