海軍零式艦上戦闘機
通称「零戦」。ちなみに「ゼロ戦」という言い方は戦後のモノで、戦前は「レイ戦」と言っていた。ゼロという言葉は戦後アメリカからもたらされた言葉なので。(※ただし戦中でも「ゼロ線」と呼んでいた人達はいたようである)
で、この零戦、実物が上野にある国立科学博物館に展示されている。一度実物を見たいと思っていたのだが、本日ようやく見に行く事ができた。
実物というのは、やはり写真と違って得も知れぬ迫力がある。また、写真や本をいくら眺めても、あるいは大量に読み込んでようやく理解できる事が、実物だと一瞬で理解できてしまう事もある(ただ、逆もある)。そして、本日私が、この極めてオリジナルに近い実物を見た感想は、工芸品としては素晴らしい!という事。
この繊細なラインと、手作りに近い沈頭錨の処理、またそれらをつなぐジュラルミン処理の巧みなところには舌を巻く。ただし、そんなんじゃダメなんだよね。量産品の工業製品ってのはさ。
このエントリーでは、零戦とわかりやすい位置からの写真ではなく、あえてこのような場所からの写真を掲載しているのだが、例えばこの尾翼をつなぐ金属板の処理。これはどう考えても大量生産品のラインではないだろう。おそらく組立工の人達が、パーツを溶接する際に、適宜バランスを見ながら最適な位置に溶接して、リベットを打っていたのではないだろうか。パネルラインの分割や、そのラインの接続面を観察すると、何も考えずにバリバリと貼っつけて溶接してできるような構造ではない。
展示コーナーでは、この零戦の下に「航研機」と呼ばれる実験機についての解説があり、日本の優れた航空技術云々という解説があったが、その技術と零戦の量産技術が同じ種類だと考えるのは間違いである。
日本の航空技術は、その技術だけを見てみると、第二次世界大戦時にはかなりの技術を持っていた事は間違いない。何故なら、太平洋戦争終結時に、ジェットエンジンを自力で開発して飛行に成功させているのは、当時日本以外ではドイツとイタリア、イギリスだけであり、アメリカは成功していなかった。
そのジェットエンジンはドイツから技術援助を…という話もあるが、技術援助とは言っても、いい加減な断面図が数枚Uボートに乗って送られてきただけであり、アイディアの段階ではその図面に救われたにしろ、それをきちんとした設計図面に起こして、必要な強度を持つ素材を選んで構造計算をして組み立て…などという重要な手順についての資料がなかった事を考えると、完成図だけは見せてもらったけど、後はほとんど想像で製作したに近い。事実、ドイツで実用化されていたメッサーシュミット262を参考にした橘花などは、いい加減に太い線で書かれている図面を参考にしたら、その線の分だけ機体がオリジナルより小さいものと判断された…なんて逸話もあるくらいだ。
話がずれたが、とにかく当時の日本は、熟練工がワンオフですごいモノを作り出す…といった方向の技術は割と進んでいた。
で、それと量産技術は何が違うのかというと、均一な工業製品を作り出すためには、誰でも規定通りの性能を発揮できるための組み立て方法、そして全く同じにならない組み立て手順を如何に均一化して個体ごとの性能差をなくすか(というか規定以外の組み立てができないようにパーツを設計する)、またその均一化できない部分を如何に性能に関係ない部分に持ってくるか。そしてそれらを実現するためのシステムや組み立てラインの設計、組み立てのルールなど、ワンオフで優れた工業製品を作る技術とはおおよそ関連性がないようにも見える、これらの技術とノウハウが必要になる。
そして、この分野で間違いなく世界の最先端を突っ走っていたのがアメリカであった。実際第二次世界大戦当時に作られたアメリカ製の飛行機は、今でもかなりの数が実際に飛べる状態に保たれている。これはアメリカという国の環境もあるが、決してそれだけではない。アメリカの飛行機は熟練工でなくても、パーツがあればすぐに修復できるし、またそれらの調整と手間も、当時の他の国の飛行機に比べ圧倒的に手順が少なくて済む。
つまり、アメリカ製の飛行機は、パーツさえ用意すれば誰でも簡単に組み立てられる。誰でも組み立てられるという事は、それだけ組み立て可能な人間も多いという事。組み立てる人間が多ければ、短時間で大量の製品を作る事ができる。そして戦局を大きく左右するのは、こういった部分での技術である。決して資源が豊富だったからだけの理由ではない。
科学力、技術力に比べ、それを実現するための量産技術というのは地味なため、あまり表舞台にあがらない部分ではあるが、当時のアメリカという国は、それらの技術革新をバランス良く発展させていったため、戦争に勝つ事ができたともいえる。
今回見た零戦の、美しいけどあの手作りにも近い完成形態を見て、色々な事を考えさせられた。やはり、なんでも実物を見る事は大事だなと思った。
ちなみに、国立科学博物館には、零戦以外にも様々な「実物」が展示してある。真面目に見ようと思ったら、1日では回りきれない程だ。
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コメント
ゼロ戦…という呼称は、戦中から使われていたと、前によっちさんが紹介してくれたサイト(どこだっけ?)に書いてあった気がします。
投稿者: にしだや | 2008年04月30日 12:22
あれ、自分で言っていて間違えたかな(笑)。
確かにここではそう書いてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E6%88%A6
ただ、ここにいた博物館の解説員が「ゼロ」と呼ばれたのは戦後から…と言ってましたので、ついそのまま書いてしまいました。
実際、軍隊や研究機関などでは「ゼロ」と呼ばれていたのかも知れませんね。
これらの組織では、敵語と呼ばれて禁止されていた(という噂)の英語も普通に使われていたそうですし。
投稿者: よっち | 2008年04月30日 12:38
ゼロ戦や大和の話は、小学生の頃、必死に読んでいました。
栄光と没落の歴史は、子供心にも歯がゆかったなぁ。
でもまぁ、「肉を切らせて骨を絶つ」戦法では正攻法には結局勝てなかったんですね。
今でも米軍の戦い方は(戦争好きなくせに)「如何に自軍の兵士の生存率を上げるか」を必死に考えているように思います。
正論で、正しい戦い方だなぁと、かの国の(利己的・内向きな)相変わらずのやり口には脱帽するばかりです。
投稿者: ふじむら | 2008年04月30日 18:30
昨日はいのうえさんと零戦・大和会議を行ってきました(笑)。
いいか悪いかは別として、アメリカは戦争を行うと、それをきちんと分析して改善していますよね。
特に、戦争時の兵士の心理状態などの研究は、アメリカが始める前は、他国でまともに行われていませんでした。
今世紀→来世紀中は確実にアメリカの世紀なんだろうなぁ。
投稿者: よっち | 2008年05月01日 07:25