科学で心を証明しろ
江原啓之については、特に何とも思っていないが、
「霊を科学で証明しろと言うなら、科学で心を証明しろ。そちらが先。人間はすべて脳で行動しますか。そんなことはありません。そうだったら刑務所はいらない。全部外科手術で善人に変えればいいのだから。私が言っている“魂”とは“心”のことです」
というのは、ネット上の論争を見る限り、この意見に賛成している人も反発している人もおそらく間違っている。
霊の存在は科学で証明できるかもしれない。でも、客観的評価基準を持たない(もてない)心については、科学が取り扱う事柄ではないだろう。
私が何を思っているか、私以外の人に心はあるのか…という問いに科学は答えてくれない。逆に答えているとしたら、注意深くその意見に耳を傾ける必要があると思う。
科学をないがしろにした似非科学、精神主義は論外としても、科学があなたの疑問全てに答えてくれると信じるのは、思い上がりであろう。
もし「科学的」である思考を持つなら、今のところ何ら客観的判断基準を示せない「心」の問題を、科学で証明しようとする行為は危険であると私は考えている。
« 歌われる体 | メイン | とても、全然、許せない »