東北からの思考/入澤美時・森繁哉
日本人は農村風景を精神的よりどころとする。つまり、地方の里山や田園風景を見る度に、そのような環境で暮らした事もないのに「ふるさと」と感じてしまうのだ。
本書は、山形県最上地方の今を歩きながら、日本の地方はどのような価値観を持ち再生していくのか…対談形式で語っている本。
日本の今を語っているという意味において、極めて「民俗学」的な本である。というか、そろそろ過ぎ去った時代の伝承とか祭りとかを追い求めているだけの学問は、民俗学と切り離すべきでは?なんて思ったりもするが。
本書の中にも「コンビニとかショッピングセンターとか、カラオケやスナックを論じる事が、現在の民俗学なんでしょうね」という記述があり、大いに賛成。
そういう意味で、本書の内容は、リアルでエキサイティングだと思う。
ただ、読後に思った事は、そこまでして「じっちゃん・ばっちゃん農業」を守っていく必要があるのかな?という点。というか、あえて言わせてもらうと、これから先の日本が、今までのように地方の集落を維持して守っていく必然性が希薄。この本に限らないが、これらの話の多くの議論の立脚点が「農村風景を精神的よりどころとする」という前提にたって、その意味を問うてこなかったからであろう。
有史以来、日本人の生活が一番変わった時期は、戦後の高度経済成長時代である事は変わりない。日本人の習慣は「応仁の乱」と「江戸中期」にガラッと変わったと言われるが、それは中央の話であり、地方は日本という国が成立して以降、田畑を耕し、米を作り、それを現金に換えるという生活を繰り返してきた。その生活に都会の風が入り込んだという事態は、もう革命にも近い。今では日本の何処でもユニクロの服が買えるし、少年ジャンプが買える。朝日新聞も産経新聞も買える。その結果、その地方にしかなかったメディアは全滅した。その地方のメディアがなくなった以上、価値観は全て都会的な価値に左右される。これはある意味「パンドラの箱」みたいなもので、そういった生活を知った地方の人は、もう雪の中に半年閉じ込められるような生活は退屈だと感じてしまうだろう。もう昔には戻れない。少なくとも、今まで地方再生を考える上での前提条件とされてきた「農村風景を精神的よりどころとする」議論が成立しなくなってくるのだ。
既に日本の事態は「地域再生を必要とするのか」というポジションにあると思う。
そうそう…本書の本論と外れるが、安易な移民受け入れと、外国人に地方参政権を認めるのは絶対反対。入澤氏は、在韓日本人の参政権が否決されている現実を知っているのであろうか。
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