音楽ソースファイルには、想像以上の情報が詰まっている
高音質オーディオの考え方には2つあって、1つは、とにかくソース機器のクオリティを優先すること。これはある意味flatearth的思想と言えるのかな?もう一つは、日本人におけるオーディオ感の主流だと思うんだけど、音の出口…つまりスピーカーなどのクオリティを優先すること。日本のオーディオ誌にある「組み合わせ」記事では、大体「スピーカーの予算を多目に割り当て…」なんて書いてあることが多いよね。
まぁ…どっちが正しいという事じゃないんだけど、近頃iPhoneでUltrazone Edition8を使っていて、感じているのが、例えiPhoneの圧縮オーディオファイルだとしても、その収録されているデータを余すことなく再生できる音楽機器…ここではヘッドホンだけど…ってのは、実際存在しないんじゃないかなぁ…という、当たり前と言えば当たり前なんだけど…そんな事。
「iPod程度のポータブル機器で、このクラスのヘッドホン(イヤホン)の真価は発揮できない」などと言っている人は多いけど、インピーダンスなどの物理的要因はともかくとしても、今市販されているヘッドホンごときでは、ソース機器側のクオリティを云々する資格がある製品は存在しないのではないか?なぁんて事すら思い始めている。そんな事を感じてしまう程、Edition8が奏でる音楽の情報量は濃密だし、日々新たな発見があるし、素晴らしいと思う。
もちろん、この状態にヘッドホンアンプを追加すれば、確かによくなるけど、物理的な情報量という点では、外付けのアンプでは、あまり変化が感じられないしね。アンプのグレードアップで感じる効果は、主にレンジの拡大とか、余裕のある鳴り方(例えば余韻の美しさとか)等が主流で、アンプを交換すると情報量が激増!ってのは、今までのオーディオ生活ではあまり実感したことがない。そういう意味で、ソース機器をグレードアップした場合に付いては、逆に「情報量」に関する変化がいちばん実感できる気がするので、とにかくソース機器のクオリティを優先するという点は、正しいのかとも思う。
それと同時に、例え圧縮オーディオだとしても、そのデータには、多分私たちが普段思っている以上の情報が詰まっていて、その情報を取り出す努力をもっと行うべきなんだなぁ…なんて思った。よく、128kbpsのデータは、音楽を鑑賞する用途になり得ない…って言うけど、確かに高ビットレートのデータと音質差があるとは言え、ではその128kbpsのデータは、全てのデータがきちんと再生されて耳元で鳴っているの?なんて話になると、そうとも言えないなぁ…と思った。