蹴裂伝説と国づくり/上田 篤・田中充子
日本は湖沼の国だった?そんな問いかけで始まる本書、本屋さんで見てこれは面白い主張だと思って購入。
日本の様々な場所をみて思うのが、日本というのは険しい山が崩れて河川に流されてできた地形がとても多いよなぁ…ということ。
例えば本書にもある北海道旭川の上川盆地、ここは今中心に旭川市を抱く大規模市街地であるが、逆にいうとこういった市街地がなければ、延々と田園地帯が…いやいや、人がいなければ、石狩川が盆地全体をうねり溢れという盆地だったはずだ。そして、南西にある狭いカムイコタンから水が流れ出ている。では、そのカムイコタンが何かでふさがれてしまったらどうか。行き所をなくした水は、上川盆地を水で埋めてしまうに違いない。
そのような地形の盆地は日本に沢山ある。関東では群馬県の沼田市、山梨県甲府盆地、また、長野県では松本平野や諏訪盆地等…これら巨大な盆地は、ある一点、比較的狭い渓谷から水が流れ出ているという点。だとしたら、これらはひょっとしたら人の手で、あるいは何らかの自然現象が谷を切り開いて水を流し、農地を作ったのではないか…これが蹴裂伝説と言われるものだ。
蹴裂伝説が正しいかどうかは別にして、今日本にある平野が昔からこういう状態だと思うのは大間違い。例えば私達が住んでいる関東平野は、江戸時代になるまでは広大な湿地帯で、とても人が住めるような場所ではなかったという。今、多くの人が住み、比較的乾燥した大地の上で畑や居住地を作り、さらに人工的に水を引いて水田を作る…といった風景は、ここ2〜300年で行われた大規模開拓の結果である。その前の関東地方、特に埼玉や千葉県の辺りは、利根川と江戸川(鬼怒川)荒川の流域内にある土地であり、大雨が降ればこれらの河川は縦横無尽に下流域を流れ出し、人の支配が及ぶような土地ではなかったのだ。
そのような湖沼、湿地帯を開拓して土地を造り上げた結果が今の日本の姿である。
わたしは日本の様々な地域を見る時、地形の凹凸や水田の姿を眺めながら、古代にはこの場所はどのような湿地帯だったのだろう…などと想像することが多い。そして、その水の流れはどうなっているんだろうと想像し、土地の流れに思いを馳せることも多い。
著者の主張とは違うかもしれないのだが、そのような妄想癖がある私にとって、本書に収められている様々な検証は、ちょっと甘い部分を感じながらも、なかなか興味深く読むことができた。