繁栄(下)/マット・リドレー
何故か下巻だけを読んでみた。そのうち上巻も読んでみようと思うのだけれでも。
この「繁栄」という本は、人類史全般を主に科学的(テクノロジーだけではなく統計という意味も含め)な視点で描いたもの。
よく言われる話で「昔は良かった」「戦後の日本はみんなが生き生きしていた」「江戸時代は町民文化が栄えたパラダイスだった」などという事があるが、では、その時代に本気で戻ってみるかい?と問われれば、殆どの人は拒否するであろう。
たかが数十年前ですら、人々は携帯電話もインターネットもパソコンもエアコンも持たなかった。それに比べれは、今の時代はなんて恵まれているんだろう!
未来を悲観的に論じる麻薬は、日本人だけではなく、他の世界でも同じようだ。
既に反文明主義者達のバイブルになりかけた「不都合な果実」は、その殆どが誤ったデータを元に組み立てたものとされている。未来は温暖化するという科学的な証拠も寒冷化するという科学的な証拠もない。アフリカの貧困は常に悲劇的に語られるが、少しずつではあるが改善されている。人類は炭素を燃やしてエネルギーにする時代を今世紀中に終えられるかもしれない…。
楽観的に考えるよりも、悲劇的に考えてあらかじめ備えたほうがいい…。確かにそうかもしれないが、その悲劇的主張が、誤ったデータを元に展開されているとなれば、それは単なるデマでしかない。
人類の生活は、歴史が下るに従い、常に良い方向に向いてきた。私自身もブログやTwitterで悲観的な意見を語ることが多いが、それでも自分の子供の頃よりも日本は良くなっていると思うし、歳をとった今の方が、子供の頃より生きていて楽しいと感じている。世界は徐々にではあるし、時に凹凸もあるが、良い方向に進んでいる。
真っ暗な未来に備えるのもいいが、時にはこのような「人類を信じる」文明論を読んでみるのもいいのではないだろうか。