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豪華2冊セットで、1冊は昭和13年に発行された単行本を、中原純一装丁まで再現した復刻版。もう1冊は、文章を全て現代語訳して、更に「少女の友」に連載されていた当時に掲載されていた中原純一のイラストを挿絵を全て収録した新版となります。お値段4,500円はチと高いですが、内容と川端康成フリークなら納得できる価格かと…。
ちなみに内容は、横浜の女子ミッション系スクールで繰り広げられる乙女同士の愛…。ちなみにこういう関係を「エス」って言うんですって。エスっていふのはね、シスタア、姉妹の略よ。頭文字を使っているの。上級生と下級生が仲良しになると、さう云うって、騒がれるのよ。
現代語訳の方も読みやすいですが、ここは絶対に当時の復刻版から読むべきです。醸し出される上品さがもう全然違います。なんつーか、川端康成ってのは、稀代の変態だなとつくずく実感できます。いい意味でも悪い意味でも…つか、悪い意味の方が少し多目で(笑)。
こんな高い本買ってらんねーよ、という人は、地元の図書館で川端康成全集の20巻を探しましょう。今ではこのお話、全集とこの復刻版でしか読めないと思います。
これは私だけかもしれないが、最近新規のブックマークって登録しなくなったなぁ…と思っている。
一昔前は、ブラウザのブックマーク数を競うかのごとく、何でもかんでもブックマークしていて、それをフォルダ別にキッチリと区分けして…なんてのは、ある種楽しんでやっていたような気すらする。ブックマークの数が知恵の数、みたいな錯覚ね。
それが最近では、自分が持ち歩いているMacBookのブラウザでブックマークメニューを見ても「なんでこんなのブックマークしてるんだ?」みたいなものばかり。適当な気分で登録したか、誤って登録したまま気にしていないか…そんなものばかりで、実際使っているブックマークは、上の方数カ所だけになってしまった。
他の人の事情は知らないのだが、ブラウザにWeb検索入力欄が標準装備されるようになった昨今、そんな人も結構いるのではないだろうか。これも一種、Webに対する考え方のシフトなのかなぁ…。なんて気も少しした。
そういえば、このブログの管理画面すらもう、ブックマークに登録していないや(笑)。
昔から何となく疑問に思っていたのだが、ガンダムのオリジンを読んでみてそりゃそうだよなと思った事。
つまり、世間では「ジオンは国力が小さくて物量の連邦軍に負けた」という認識が主流みたいだが、テレビシリーズ、あるいは映画のガンダムを見ているだけでは、とうていそんな印象はないんだよね。
まずは、大反抗の開始であるソロモン攻略戦、画面を見ている限りでは、おそらくこの戦いが連邦軍が一番物量的に恵まれていた戦いだろう。それでも、基礎戦力が足りないために、ソーラシステムという奇策を用いて陽動作戦を採っている。
ちなみに、一般的陸上戦闘では、練度・士気・兵器レベルが同等の場合で、攻撃側は防御側の3倍を持って五分五分の戦いができると言われている。何故なら、防御側は陣地にこもって移動する必要がないし、陣地内の防御施設や地形を利用して身を隠せるからだ。逆に言えば、攻撃側は戦いながら自ら進撃しなければならないというリスクを負う。銃火の中に身をさらして移動しなければならないため、損耗率も大きいのだ。
ただ、遮蔽物のない宇宙戦闘では状況は異なると思われる。宇宙空間での戦闘なら、お互いに身を隠す場所がないので、地形効果は望めないだろう。それにしても、攻撃側は陣形を変えながら進撃しなければならないので、やはりある程度の不利はあると思われる。
しかし、ソロモンは要塞攻略戦だ。マトモに考えれば、全く地形効果を得られない攻撃側である連邦は、一方的に防御陣地から隠れて射撃が可能なジオンと比べ、相当不利な戦いであったはずだ(だからこそ連邦は、攻略開始と同時にビーム攪乱幕による地形効果を築いている)。
となると、まともにソロモン攻略を行う為には、連邦軍はドズルの宇宙攻撃軍に対して、最低でも5倍以上の戦力差、可能であれば10倍位の戦力差をもって攻撃するのが筋だと思うのだが、画面から伺い知る限り、連邦軍は、初期攻撃に参加したワッケイン隊を主力と勘違いさせるような戦力に見せかけつつ攻撃している。つまり、この段階でワッケインの戦力は、ソロモンを攻略するのに全く戦力的には足りないという意味であろう。
陽動でソーラシステム設置に動いていた主力のティアンム艦隊の動きも、連邦の戦力が全く足りない故の作戦であるとしか考えられない。よくあるガンダム評論通りに、連邦軍が圧倒的な物量でジオンを攻めているのなら、主力を初期攻撃に参加させず、ソーラシステム後の突入戦力として温存しない。わざわざワッケイン隊を囮のように使って損耗させる意味もないと思う。私が連邦軍高官であれば、ソロモン正面から攻撃を加え、主力の戦力を充分見せつけてジオンの戦力を正面に集め、反対側からソーラシステムでとどめを刺す。
長くなったが、ソロモン攻略時、連邦は全く戦力が足りていなかったのではないかと思われる。
その後の動きについてもおかしな点が多い。ソロモンを攻略できた連邦は、どうして「ア・バオア・クー」の攻略をあれだけ急いでいたのであろうか。地球圏から事実上ジオンを追い出して、ソロモンを占領して更にルナツーまで持っている連邦軍にとって、後のジオン攻略はもっと余裕を持って行えたはずだ。
というか、よく言われる1/30の国力差が本当なら、連邦は黙って一年間戦力増強を行うだけで「ア・バオア・クー」と「グラナダ」「ジオン本国」の3面作戦すらできる程の戦力が確保できたのではないか。
あの時点で連邦軍が焦ってジオンを攻略する理由がない。というか、理由はないのではなく、どこかで作戦を急がないといけない理由はあったと見るべきなのだろう。
もちろん、当時の連邦上層部の中には「ジオンを放置しておけば、またコロニー落としなどの大量虐殺が行われるかもしれない」という危機感を持っていた高官もいただろう。しかし、一応それらの戦争については「南極条約」で手を封じてある。もちろん戦時条約でしかないので、そんなもの守られるのかは疑問なので、連邦上層部がジオン攻略を急がせた…というのもあるのかもしれない。だからといって、勝つか負けるかのバクチを行い、負けた後再び連邦宇宙軍が駆逐されてしまったらおしまいである。なので、ソロモン後おける連邦軍の動きが、自分的にイマイチ納得ができないんだよね(アニメだからさーという話はナシにしてw)。
更に、連邦軍は、ジオンの「ソーラレイ」で一度に30%の戦力を失いながら、半ばヤケクソ気味でア・バオア・クー攻略戦に突入している。あれも解せないところで、もし30%を失ってもア・バオア・クー攻略を行えるほどの戦力があるのなら、あの時点での連邦軍の悲壮感?は、あまり考えにくい。というか、戦争は戦争である。攻撃側が五分五分の戦いなどは選択しない。連邦軍がア・バオア・クーを攻略すると決断したとしたら「こりゃ勝てるよね」という戦力差を持って行うのが当然だ。
では、何故賭け事にも近い戦力を持って、連邦はア・バオア・クーを攻めたのか。
まず考えられるのは、現場では悲壮感が漂っていたが、作戦本部では「この戦力があればア・バオア・クー攻略は確実」という見解であったこと。ガンダムという話は、最前線の人間が主な登場人物なので、後方の人間との温度差があるのは当然だろう。つまり、画面では激戦だったが、実のところは連邦にとってア・バオア・クー攻略なんて楽勝であったという説。
う〜ん、どうだろう。だったらア・バオア・クー攻略直前で「デギン・ザビ」の会談申し入れを、あの最前線であっさり受け入れるかな?ま、これはレビル将軍の性格もからんでくる話なので、何ともいえないけど。
しかし、仮に連邦軍の戦力がジオンを圧倒するほどであれば、ア・バオア・クー攻略に対して、グラナダとソロモンを牽制する戦力だって用意できたはずだし、30%の艦艇を失った後でも、更に後方のソロモンから予備兵力を動員できたはず。ただ、そういった描写は全然なかったよね。
えーと、書いていてもキリがないので、この続きはまたそのうちに(笑)。
ついでに市川市動植物園のカワウソ写真をもう1枚。こちらは牙が片方欠けてますね。
カワウソの牙ってまた生えてくるのかな?
「ロケットで月に行った英雄は今も必死に自転車をこぎつつけている!」
カバー裏の不思議なキャッチコピーに惹かれ購入。始めて読む著者の小説だが、ロシア(ソビエト?)ではベストセラー作家らしい。
で、本作なのだが、何ともいえない不思議な小説だという事につきる。子供の頃から月にあこがれて宇宙飛行士になったオモンは、二度と帰る事ができない月の裏側を目指す。沢山の少年達から命をもらいながら…。
とまぁ、そんな話なのだが、全編にわたりシニカルな風刺や比喩的表現もさることながら、翻訳のせいもあるのか、展開される情景に感情移入しきれないまま物語が終わってしまった印象。
もっともこれは、私が電車の中でさっくりと読んでしまったせいなのかもしれない。自宅でじっくり読むべき小説だったか。
ネット上で本書についての解説を読むと、どこも小難しい評論が多いので、あえて別な切り口から評価してみると、今風の少年萌え小説としても鑑賞できるのではないかと思った。少し難解な部分もあるが、コンパクトな量で読みやすく、不思議なソビエト的価値観を持った作品としてお勧めできる本だ。
「若い女性に大ヒット中!」のブラックサンダー限定バージョン「白いブラックサンダー」を箱で頂きましたよ。
早速食べてみましたが、北海道産ミルクの味と、イナズマ級のおいしさがお口の中で鮮やかなハーモニーを奏で…って、よくわかりませんが(笑)おいしいです。
こちらのページによると、大反響で品切れ続出!だそうですけど、本当かな?
場所は一応伏せますが、公道を単独で走っておりました。初めて実物見たなー、軽装甲機動車って。
大きさは、背景のトレーラーから推測できるように、そんなに大きなサイズではありません。ランクルよりも小さいかも。あと、走っている姿を見ると、意外と軽快で、車両重量も結構軽いように思えました。同サイズの一般的国産RV車よりも運動性高いのではないかと。
もっとも、一部旧式RV車もそうですが、日本の民生トラックは、過積載を前提として設計されているため、不必要にフレームが頑丈で、重すぎて燃費も悪く、海外では全く競争力がないのです。
自衛隊で軍用トラックとして使われている車両がどうして民生用をそのまま使わないのかというと、色々な装備の問題もありますが、日本の民生トラックが過積載を前提としているため、頑丈すぎ+重すぎで効率が悪く、戦地の運用に適さない…って理由もあります。
だってさー、北関東を跋扈してる違法過積載トラックなんて、差し枠かまして砂利を積みまくって車両総重量50〜60tに達してる車両もありますからね。重すぎて日本の地勢に適さない!なんて言われてる90式戦車よりもヘヴィです。そんな過積載でも壊れないダンプの過剰性能もさることながら、それに耐える日本の道路や橋梁ってすげーんだな…と思います。
話がずれましたけど、軽装甲機動車、実物はやはりカッコいーですね。ちなみに隊からは「ラヴ」という愛称で呼ばれているそうです。かわいー。
何故か下巻だけを読んでみた。そのうち上巻も読んでみようと思うのだけれでも。
この「繁栄」という本は、人類史全般を主に科学的(テクノロジーだけではなく統計という意味も含め)な視点で描いたもの。
よく言われる話で「昔は良かった」「戦後の日本はみんなが生き生きしていた」「江戸時代は町民文化が栄えたパラダイスだった」などという事があるが、では、その時代に本気で戻ってみるかい?と問われれば、殆どの人は拒否するであろう。
たかが数十年前ですら、人々は携帯電話もインターネットもパソコンもエアコンも持たなかった。それに比べれは、今の時代はなんて恵まれているんだろう!
未来を悲観的に論じる麻薬は、日本人だけではなく、他の世界でも同じようだ。
既に反文明主義者達のバイブルになりかけた「不都合な果実」は、その殆どが誤ったデータを元に組み立てたものとされている。未来は温暖化するという科学的な証拠も寒冷化するという科学的な証拠もない。アフリカの貧困は常に悲劇的に語られるが、少しずつではあるが改善されている。人類は炭素を燃やしてエネルギーにする時代を今世紀中に終えられるかもしれない…。
楽観的に考えるよりも、悲劇的に考えてあらかじめ備えたほうがいい…。確かにそうかもしれないが、その悲劇的主張が、誤ったデータを元に展開されているとなれば、それは単なるデマでしかない。
人類の生活は、歴史が下るに従い、常に良い方向に向いてきた。私自身もブログやTwitterで悲観的な意見を語ることが多いが、それでも自分の子供の頃よりも日本は良くなっていると思うし、歳をとった今の方が、子供の頃より生きていて楽しいと感じている。世界は徐々にではあるし、時に凹凸もあるが、良い方向に進んでいる。
真っ暗な未来に備えるのもいいが、時にはこのような「人類を信じる」文明論を読んでみるのもいいのではないだろうか。
日本は湖沼の国だった?そんな問いかけで始まる本書、本屋さんで見てこれは面白い主張だと思って購入。
日本の様々な場所をみて思うのが、日本というのは険しい山が崩れて河川に流されてできた地形がとても多いよなぁ…ということ。
例えば本書にもある北海道旭川の上川盆地、ここは今中心に旭川市を抱く大規模市街地であるが、逆にいうとこういった市街地がなければ、延々と田園地帯が…いやいや、人がいなければ、石狩川が盆地全体をうねり溢れという盆地だったはずだ。そして、南西にある狭いカムイコタンから水が流れ出ている。では、そのカムイコタンが何かでふさがれてしまったらどうか。行き所をなくした水は、上川盆地を水で埋めてしまうに違いない。
そのような地形の盆地は日本に沢山ある。関東では群馬県の沼田市、山梨県甲府盆地、また、長野県では松本平野や諏訪盆地等…これら巨大な盆地は、ある一点、比較的狭い渓谷から水が流れ出ているという点。だとしたら、これらはひょっとしたら人の手で、あるいは何らかの自然現象が谷を切り開いて水を流し、農地を作ったのではないか…これが蹴裂伝説と言われるものだ。
蹴裂伝説が正しいかどうかは別にして、今日本にある平野が昔からこういう状態だと思うのは大間違い。例えば私達が住んでいる関東平野は、江戸時代になるまでは広大な湿地帯で、とても人が住めるような場所ではなかったという。今、多くの人が住み、比較的乾燥した大地の上で畑や居住地を作り、さらに人工的に水を引いて水田を作る…といった風景は、ここ2〜300年で行われた大規模開拓の結果である。その前の関東地方、特に埼玉や千葉県の辺りは、利根川と江戸川(鬼怒川)荒川の流域内にある土地であり、大雨が降ればこれらの河川は縦横無尽に下流域を流れ出し、人の支配が及ぶような土地ではなかったのだ。
そのような湖沼、湿地帯を開拓して土地を造り上げた結果が今の日本の姿である。
わたしは日本の様々な地域を見る時、地形の凹凸や水田の姿を眺めながら、古代にはこの場所はどのような湿地帯だったのだろう…などと想像することが多い。そして、その水の流れはどうなっているんだろうと想像し、土地の流れに思いを馳せることも多い。
著者の主張とは違うかもしれないのだが、そのような妄想癖がある私にとって、本書に収められている様々な検証は、ちょっと甘い部分を感じながらも、なかなか興味深く読むことができた。
アラビヤン焼きそばが売っていないのである。どこもかしこも…。
震災の影響なのだろうか。これは一大事!なのですが、かといってこのご時世、仮に店頭で見つけたとしても、いつもみたいに10個まとめ買いとかしにくいです。「仕方ない!ネットで注文するか…」と思い、いくつかのネットショップを探したのですが、どこも軒並み在庫切れ。サンヨー食品も今の状況では、このようなローカルアイテムを製造してる余裕がないのかもしれません。
つことで、もう粘って少し探してみたら、セブン&アイで売っているのを発見。1,500円以上は送料タダだし、早速20個程注文。翌日に届きましたよ。お値段は1,992円と、チと割高ですかね。
届いた品物は、消費期限が7月5日となっていましたから、賞味期限を6ヶ月と考えれば、震災前に製造されたロットになります。震災後、果たしてアラビヤン焼きそばは製造されているのでしょうか?
この20個を食べ終わる前に、いつものスーパーで買えるようになっていることを祈りますよ。
SSDは使う度に動作速度が落ちてきます。かくいう私も最近「なんとなく買った当初より速度遅くなってきたかも」なんて思ってきてはいたのですが、ま、気のせいなんだろうね。ただ、実際にSSDの速度低下を防ぐ方法もあったりします。それがTrimコマンドと言われれるもの。
詳しくは、ネットで関連情報を漁って頂いた方が確実なのですが、超簡単に説明すると、Trimとは、SSDに「この領域は上書きして消去しても構わないよ」と伝えるコマンド。スピンドル式のHDDと違い、SSDの場合はあえてデータを分散して書き込む仕様になっているので、大きなデータなどを書き込む際、常に領域内でファイルを移動させています。その際、OS側で消去したファイルについても区別が付かないため、全てのデータを別な場所に一旦コピーして、目標となる領域を消去して、さらにコピーしたデータを別な場所に移すという処理を行っています。
その際、いらないデータであることをSSDに知らせてあげれば、わざわざ不必要なデータを別領域に待避させてまた戻すプロセスがなくなるため、ディスクのアクセス速度も速くなるし、また書き換え頻度も減るので、SSD自体の寿命も延びるという訳。詳しくはこんなキーワードでググってみてくだしあ。
で、このTrimコマンドなのですが、実はWindows7では対応しているSSDを使えば既に実現できていました。ただ、我らがMac OSXでは対応が遅れていて、ようやく最新の10.6.7になり、Apple純正SSDのみ何故かTrimが可能になったという状況。
その為まだ、自前でHDDをSSDに入れ替えた人達に、Trimはサポートされない状況ではあるのですが、そんな中、OSX上で全ての対応SSDのTrimを有効にしてしまうパッチが出回っています。それが「trim enabler for mac」というもの。
仕組みは単純で、SSDのデバイス名を全て「0」で埋めてしまうと、OSX側ではTrimを有効にできる…という、バグなのか何なのか…を利用したもの。ちなみにデバイス名が5文字の場合、手動でappleに書き換えてもTrimが有効になるらしいよ。
使い方は簡単、ダウンロードしたソフトを起動して「Patch」のボタンを押すだけ。少し時間がかかるけど、SSDのデバイス名を書き換えてくれて、無事終了すればリスタートを即すダイアログが出るので、リスタートして終了。自分の環境下では全く問題なく再起動がかかり、Trimがめでたく有効になりました。
「Patch」ボタンの下には、バックアップとリストアというボタンもありますが、念のためバックアップは取っておいた方がいいでしょうね。リストアについては…失敗するとSSDを起動ディスクとして認識しなくなりますので、意味があるのかな?いずれにせよ、外付けHD等にデータを移してからチャレンジした方がいいです。自分はタイムマシンでバックアップ取ってあったので、その辺はあまり気にしませんでしたが。
Trimについては、実は過渡期的な技術な気もしますし、将来に渡りSSDの標準コマンドとして残っていくのかは分かりませんが、噂によるとAppleは、時期OSのLionでは正式にTrimをサポートするそうです。
割とリスキーな感じもしますし、Trimを有効にしてもSSDへのアクセス速度が爆速に!って訳でもない地味な効果なので、積極的にお勧めはしませんが、興味がある方はデータのバックアップをきちんと取って、チャレンジしてみて下さい。
毎年恒例、北越谷のさくらを見にブロンプトンで出かけてきましたよ。
写真は、ちょうど人が途切れるタイミングを待ってシャッター切ったので閑散とした印象ですが、実際は様々な場所で言われているような「自粛ムード」は欠片もなく、むしろ去年よりも出店が増えて盛り上がってる印象でした。
政府が花見の自粛をお願いしている理由として「仮設トイレを被災地へ優先的に送っているので足りない」「夜間警備の警察や事故が起きた時に対応する消防隊員が被災地に向かっていて足りない」「夜間照明は省エネに反する」みたいな理由もあるそうで、一概に「自粛ムードだから」という訳だけでもないようです。
なので、例年よりも少しだけ節度を持って楽しむ分には、全然問題ないと私は思いますよ。こういう時だからこそ、綺麗なさくらを見ながら、大切な人や友人と会える喜びをかみしめて、日常の会話を楽しみましょう!…って偉そうな事を言いつつ、自分は誘う友達も何もない訳なんですけど(笑)。
かつての海外情報については全く無知であった…という江戸史観が、ここの所大分是正されてきているような気がする昨今。こんな本が図書館に並んでいたので借りてきて読んでみた。
本書は、鎖国制度により海外情報から隔離されていたと思われていた、江戸時代の海外情報の入手ルート、並びにネットワークについて考察した本である。
私も知らなかったのだが、教科書にも出ていた江戸時代の「象」の話。実は象が日本にやってきたのは、江戸時代を通じて何度かあったこと、それどころか、時代を遡った徳川家康も、海外からの献上品として象を受け取っているとのことであった。なるほどねー。
その他、本書で語られている中で印象深かったのが「ペリーの白旗」の件。この一件については、今でも歴史学者や歴史マニア達で色々と議論されているネタで、ペリーが浦賀沖で当時の浦賀奉行である香山に、白旗を渡したか否かという点。この記録は日本側のみに記載されており、長い間アメリカ側の記録に白旗に関する記述がなかったことから、当時の日本人が驚いたあまり作った創作ではないか?などと言われていたのだが、最近になってどうやらペリーが日本人に対して白旗を渡して恫喝に使ったというのは事実であるらしい…という流れになっている。この記述が何故アメリカ側の資料にないのかというと、どうやらこの作戦は、時のフィルモア大統領に進言したらしいのだが、止められていたそうで、ペリー側も内緒で行い記録に残さなかったから…らしい。他にもペリーは、琉球を武力占領すると進言し、当然ながら大統領に止められたりと、割と過激な考え方の持ち主であった。
いや…私が問題問題にするのは、その白旗外交が事実なのかどうかではなく、その白旗がもたらす意味についての話。どうやらペリーの白旗があったという人たちの論調によれば、その白旗に時の幕府高官はびびりまくって慌てて会見地を用意した…みたいな話になっている本を読んだことがあるのだが、そもそも戦地での「白旗」というのは、当時の国際ルールであり、本書で問題にしているのは、その意味を当時の日本人が知らなかったとは思えないという点。
確かに戦場での白旗は、局地的には降伏に使われることもあるが、他には軍使の派遣等、つまり武装解除を示す目印であり、その国際ルールについて、乗船した香川がアメリカの高官から丁寧に説明されたというのが不愉快であった、その不愉快な思いが報告などに伝わり、より大がかりで面倒な情報として幕府に伝わってしまったというのが本書の論考。なるほど、さもありそうで面白い。
ちなみに、本書でも紹介されているが、ペリーの白旗事件については、ズバリ「ペリーの白旗/岸俊光」というが出版されているので、こちらも興味がある方は是非。
ま、そんな感じで、江戸時代の主に後期に発生した国際的な事象について、割とザックリ紹介されている本で、難しそうなタイトルながら、結構気楽に読める。おすすめです。
どちらも、iPhone/iPod用のドック→ミニプラグケーブルです。私の場合はiQubeとの接続用に使用しています。
今まではBlueDragonというドック→ミニプラグケーブルを愛用していたのですが、このケーブルの堅さが嫌になり、突発的にFiio L3という同じ用途の廉価版ケーブルを購入。お値段は1,500円。ま、BlueDragonに比べ1/10位の価格なんですかね。
音の差…については、そりゃあります。ありますけど、正直どうでもいいレベルです。BlueDragonの方は、確実に音全体が分厚いというか力強いです。わかりやすく高級ケーブルの音がします。
逆にFiio L3の方は、普通ですね。普通にポータブルアンプから期待される音が出るというか、私的評価ではこっちで充分というか、こっちの方がケーブル自体が柔らかく取り回しやすいためお勧めです。
実は同様のケーブルで、ノーブランド品だと思うのですが、もっと細いケーブルを使ったドック→ミニプラグケーブルも持っていたのですが、あちらは確かに、BlueDragonの使いにくさを許容できる位に音悪かったです。粗というか大雑把というか、そんな音の印象でしたね。
以上、たまにはオーディオ的なコネタでもひとつと思いまして。
先週末の話なんですけどね、浦安にあるリア充共の聖地、東京ディズニーリゾートの入り口にある、イクスピアリに行ってきましたよ。
本家のネズミーランドは休園中でしたが、こちらは通常営業なのかな?駐車場は行列していましたが、所謂+500円パーキング(駐車料金の他500円かかるが、クルマのキーを係員に預けて貴族気分になれるパーキング)はガラガラでした。
イクスピアリ内部は…確かに人は少なかったかな。でも、予想してたよりは人が大勢いた印象でもあります。
ちなみに、施設の周り…浦安市内は、思ったよりも被害が深刻ですね。帰り道駐車場から出て、都内に向かう交差点では、浦安方面にある路上の電光掲示板が思いっきり傾いていたり、歩道と車道の段差がすごい事になっていたりしました。ただ、橋を渡って都内に入ると、パッと見では全く被害がなさそうに見えましたが、果たしてどうなんでしょう?
本屋さんで並んでいて、つい買ってしまった本。
思うのだが、この国の政治家やメディアは、この国が「ダメ」でなければいけない理由があるのであろうか。
つことで、本書の冒頭で読者に投げかけられている設問をあえて全て引用してみた。皆さんはこの設問についてどう思っているだろう。
さらに、その質問に対して自分のコメントを入れてみたが、これは正真正銘何も資料に当たらず、自分の頭の中の知識だけで答えた解答である。皆さんはこの設問に対してどのような意見を持っているのだろうか。
1:落ち目になっていた徳川幕府は寛政の改革によって復活した。
まるでウソ。田沼政治が行っていた近代貨幣経済をぶちこわした悪政でしかない。ちなみに学校では「田沼時代には庶民が政治を批判する風刺画が数多く描かれた悪い時代」と教わったが、政治を批判する風刺画1枚も描けない時代の方が異常だろう。
2:ペリーの来航は徳川幕府にとって寝耳に水だった。
幕府は正確にペリーの来航情報を知っていた。事前にオランダ経由で知らされていたから。
3:戦前の日本は軍部が独裁していて言論の自由がなかった。
これは主観もあるが、少なくとも「敵性言語禁止!」みたいなアホな真似は今もある朝日新聞等のメディアや当時の不謹慎厨wが率先して行っていた事。少なくとも軍隊では零戦は「ゼロセン」と発音していたし(一部では「ゼロ」が英語のため当時は「レイセン」と言っていたというデマもあるけど)、発動機は普通にエンジンと言っていた。
4:日本人は軍部の圧政により無理矢理戦争に協力されていた。
これも主観的な評価側面があるが、その軍部の暴走を許していた政治家を選挙で選んでいたのは日本国民である。何から何まで軍部に責任を押しつけ、自分達の贖罪は済んだ気になっている歴史観は非常に危険。
5:1974年の物価狂乱の原因は第一次オイルショックだった。
よくわからない。
6:企業や人々がマネーゲームに走りすぎた結果、バブルが発生した。
原因と結果、どちらが先かわからない。
7:モノが売れなくなったのは、人々が物質的な豊かさより、心の豊かさを求めたからだ。
あまりにも抽象的だし、そんなデータはおそらく無い。
8:日本においては、少年の凶悪犯罪が昔に比べてかなり増加している。
まるでウソ。少年犯罪というか、日本における凶悪犯罪は他国から比較すると異常なレベルで低下している。
9:ミネラルウォーターは水道水より美味しい。
おいしさについては主観が混じるので何ともいえないが、少なくとも日本の水道水は市販のミネラルウォーターよりもはるかに厳しく安全性が規定されている。
10:マイナスイオンは人間の身体にいい効果をもたらす。
現時点でこんなの真面目に信じてる人達は、オウム真理教を信じている連中と何も変わらない。科学的根拠はなにもない。
繰り返しますが、私がつけたコメントは正解ではありません。正解は本書を読むというより、自分で調べてみましょう。
世の中で報道されている、あるいは入ってきた情報全てについて、自ら裏をとり調査する事は物理的に不可能ですが、それでも、繰り返し報道される事象について少しでも興味や疑問を持った場合は、可能な限り自分でも調べてみるという姿勢が大事なんでしょうね。
つことで、本書についてはこれから読んでみたいと思います。
実は川上弘美が好きなのである。で、どうしてこんな書き出しで始めるのかというと、本屋さんで「川上弘美」の新刊が出てないかなーと探す度に目につくのが、この「角田光代」だったりするのだ。どっちも「か行」だしね。
つことで、今日も本屋で「か行」の棚を見ていて、何となく目について買ってしまった本。著者は同い年だよ自分と。
読んでいて面白いなーと思ったのが「愛と恐怖」という章。こんな自分でも、いままでに数回は人を愛した気分になった事もあり、そのときに思った事は確かに「愛とは悲観に属する」って事。だってもう、心配で心配で仕方ないもの。愛する人が交通事故に遭っていないか、駅でホームから転落してないか、階段ですっ転んで大怪我してないか…。変な話、そんな事ばかり考えていた事が、自分の人生の中で何度かあった。この共感を得られた事は、本書を読んで最大の成果でもある(笑)。
他、美人である事が既に無駄である美人ってのは、確かにそういう人結構いるよね。自分の場合、美人さんってのはどうも苦手なのだが、そういう美人であることが無駄…人ってのはワリと好き。残念ながらそういう無駄な美人ってのは、その無駄に気づいた人の手に既に落ちている事が多いのだけれども、たとえそういう関係にならない人だとしても、やはり美人の人とお話しするのは素直に嬉しい…というか、つまり自分はズボラな人とウマが合うのかもしれないなー。
実は、一週間位前から、このブログのトップページに「東京電力・電力供給情報」というブログパーツをつけている。
RSS等で直接エントリにいらしてくれている方には気づかれないかもしれないので、一応ここでご報告という感じなのだが、その電力について、最近暖かい日が続いているのもあるのだろうが、供給量に対しての余裕レベルがすごいなーと。あーみんな、節電頑張ってるんだなーと、いうのが、自分のブログを開く度に実感できて、なんだかうれしい。いや…自分ごときがうれしがる筋合いはないでしょ!と言われればその通りなんだけどね。
今、このエントリを書いている時点で、消費電力は供給量に対して77%程度でしかない。いくら暖かくなっているとはいえ、震災直後は供給量に対して消費電力が98%前後だったのを思うと、隔世の感がある。
毎朝使っていたエスカレーターが動かなかったり、山手線内の照明がついていなかったり、ちょっとだけ不便かもしれないけど、でもそれはちょっとでしかない。原発の問題が解決して、発電所の供給量が安定したとしても、この節電運動は続けていくべきだな〜と思う。
必要かと思っていた電気の一部は、実はそんなに必要ではなかった。それに気づかせてくれた事は、今回の震災が教えてくれた、本当に数少ない「いい事」なのかもしれません。
皆さんは初めて一人でカフェに入った時の事って覚えてますかね。自分はあまり覚えていないのですが、こうやって日常的にカフェに入り浸るようになったのは、割と最近だと思います。
数年前の私といえば、外出先で食事するのもあまり好きではなく、ましてや「コーヒー」を飲むためだけにお店に入るなんてもってのほか、お金がもったいないじゃないですか!ってスタンスだったのですが、それは建前で、ホントの所は人見知りが激しかっただけなんですよね。
もちろん、全く飲食店に入ったことがなかった訳でもないけど、入るお店はファミレスやチェーン店の定食屋など、店員さんとの関係がドライで済みそうな所。席に着いたとたんに「本日のお勧めは…」とか「今日は天気がいいですね」などとフレンドリーに話しかけてきそうなお店などは問題外。また、同様な理由でおっちゃん達が集まるような居酒屋も苦手で、周りの人たちが「おねーさんビールね!」と親しげに注文している中で「すみません、ビールを中ジョッキでひとつ」とか言うのもまた恥ずかしい…ま、そんな理由で、外食というか、外出先でサービスを受けること全般が苦手な私だったのでした。
それが知らない間に、ちょっと時間ができればスタバなどのカフェに迷わず入るようになったのは、何がきっかけなのでしょう。うーん…以前つきあっていた女の子がこういう場所が好きだったから?いやいや…例え女とつきあっていても「今晩は家でカレー作るから」とか言って帰っちゃう自分(笑)なので、それはないかも。だとするとなんででしょう、と真剣に考えると、実はPCの進化による要因が多いのではないかと、そんなつまらない結論になってしまいそうです。
そうなんですよね、思えば私は、自分で使うPCは必ずノートブックという原則を頑なに守っていて、実際に今まで購入したマシンでノートブック形式じゃないPCは、少し前に購入したiMac27inchのみ。それでも更に、持ち歩けるMacBookProを追加購入しています。
で、思えば私がスタバなどのカフェが好きになった時期というのは、Let's noteを購入して使い始めた時期と同じなのです。
そこそこのマシンスペックと液晶解像度に、なんといってもカフェで使っても不満が出ないレベルのバッテリ能力。いままでは「ノートPCさえあればどこでも仕事やネットができる」といっても、実際は電源の問題やネットワークの問題があって、なかなか難しかった。それが今では、ノートPCとイーモバイル端末を持ち歩いていれば、おおよそ首都圏の範囲内であれば、どこでもPCが使える。ACアダプタもいりません。
そそそ、そういえば以前はんぺん型のiBook G3を使っていた頃は、秋葉原に無線LANを無料開放していたカフェがあって、休日となれば意味もなくそのカフェにiBookを持ち込んでネットしてた、って時代もありました。あのときに、自分の中での「カフェアレルギー」が克服されたんだろうなぁ。
タイトルと違って、なにやらヲタっぽい結論になってしまいましたが、そんな理由で、今の自分はカフェでPCいじって仕事したりネットしたりブログ書いたりするのが好きになった…というお話でした。
ちょっと前に買って呑んでみた「浦霞」が美味しかったので、またまた被災地支援キャンペーンで、今度は浦霞の純米吟醸「禅」を買ってみましたよ。
このお酒を買うために、近所の酒屋を何カ所か回ったのですが、不思議というかなんというか…どこのお店でも「浦霞」は売り切れ。
生産が一時止まっているせいかもしれませんが、ここは皆さんが被災地の商品の消費に協力しているのではないかと考えると、ちょっとあたたかい気持ちになります。
ちなみに、陸前高田市の酔仙も、被災地にあった日本酒の蔵本です。こちらは残念ながら蔵が全壊状態だそうで、とりあえずは今流通している商品で打ち止めでしょうか。見つかれば買って呑んでみたいと思います。
他にも今日は、都内にある福島県のアンテナショップが、屋外まで行列ができる程の繁盛だったそうで、みんな、色々な方法で被災地を応援しているんだと思うと、日本はまだまだこれからだ!と感じますね。
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