ドゥーエ/制空
軍事マニアではないとあまり馴染みがないと思う。ドゥーエとは、20世紀初頭にイタリアで活躍した軍人で、軍事思想家でもある。
当時、第一次世界大戦で使われ始めたばかりの「航空機」を、本格的に軍隊のシステムに組込み、その作戦は陸軍や海軍の補助的な役割では無く、明確に独立して作戦を立てる組織を作らなければならない。つまり「空軍」という組織が必要である…と訴えた人であった。
いまでこそ「陸・海・空」の3軍体制は先進諸国では常識ではあるが(アフリカの最貧国だと「空軍」をもてない国軍もある)、第一次世界大戦が終わった当時、航空機を独立した組織の元で運用する…という考え方は、反対というか多くの人は気がついていなかったのではないかと思う。
空では、既にフォッカーを操るレッドバロンと呼ばれたリフトフォーフェンが撃墜王として活躍していた第一次世界大戦当時ではあったが、ワイヤーと布貼りのボディや主翼をもった飛行機が主力戦闘機として残っていた時代である。戦略爆撃などという思想は、確かに散発的にはドイツ帝国のゴーダGなどで行われたことがあるが、極めて限定的、実験レベルを超えない、作戦などとは呼べないレベルの話であった。
その時代、ドゥーエは明確な「戦略爆撃団」を思想し、その運用母体としての「空軍」を組織することを呼びかけ、また、敵国内を自由に飛べる権利を戦争の初期段階で奪い取る「制空」という概念を確立した。その論文の翻訳が本書である。
内容的には当然古い部分、現在の情勢には合致しない部分は沢山ある。特に対空攻撃兵器の進歩について、ドゥーエの予測は、その当時の技術の情勢にも通じていないように感じる。また、当然レーダーなどという近代防空設備は予想も出来なかったのだろう。
しかし、戦争初期の段階でまず敵国の空を支配し、護衛機と多数の戦略爆撃機(ドゥーエは航空戦力は基本的に戦略的だと語っている)で敵国の奥地に進入し、通常爆弾・焼夷弾・そして毒ガスで構成された戦略爆撃を行えば、その被害は甚大な上、敵国民の士気を多いに削ぐことが出来、戦争を短期で収束させることが出来る…という思想は、彼が考えたほど楽観的では無いにせよ、第二次世界大戦でアメリカ軍が行った戦略爆撃、そしてその後のベトナム戦争(成功ではなかったが)、更に世界史上でもっとも成功したといわれる作戦、湾岸戦争・イラク戦争でも遺憾なく発揮されている。
現在のアメリカ軍は、まず敵国の空の自由を奪い、航空優勢(現代戦では「制空権」とはいわない)を維持した上で、GPSを使った精密誘導弾で敵国軍の活動の自由を奪う。その上で圧倒的な火力をもった陸上部隊が、敵の航空兵力による奇襲を恐れる必要なく、自由に活動し侵攻し拠点を占領してゆく。正にドゥーエが100年近く前に描いた「空軍」による制空戦略そのものである。
私達の日本も、ドゥーエの戦略空軍思想に敗退したと言ってもいいかもしれない。というか、本土による陸上決戦を行わず、空からの攻撃のみで日本はアメリカに屈服した訳であり、仮にその当時ドゥーエが存命だとしたら(彼は第二次世界大戦勃発前に死去している)、同盟国の敗退とは言え、自説の正しさを確信することが出来たであろう。
ちなみに、空の作戦だけである程度の規模を持った国家が屈服した例は、今のところ太平洋戦争における日本の敗退しかない。ドゥーエが思い描いていた通常爆弾、焼夷弾、による戦略爆撃、毒ガスに代わり核が使われた部分は、制空を執筆した当時は考えも及ばなかったであろう。
現在、空の戦力は大規模な戦略爆撃から、少量の精密誘導弾で確実に敵の拠点を破壊するやり方に変わってきている。また、レーダーに移らないステルス機の出現は、かつてドゥーエが考えていた「飛んでしまえば地上からの索敵は事実上不可能に等しい」という、100年前の空に近づいてきているようだ。
都市を大規模に爆撃し敵国民を恐怖に落とし入れる作戦は現在では実行しにくくなりはしたが、先進国は、敵国の空を支配し、その上空を自由に作戦を行う権利を奪取することをドクトリンとしている事に変わりは無い。こんな時代だからこそ、空の作戦の基礎となった「制空」は、もっとたくさんの人に読まれるべきだなと思った。
残念ながら、この「制空」については、戦前に日本軍が教本用として『制空と将来戦』として訳された例があるだけのようだ。私も日本語訳になっているとは最近まで知らず、ふと、この「戦略論大系」という書籍のシリーズに収録されているのを知ったばかりである。
日本では軍事に関する書籍・リソース全般が諸外国に比べ圧倒的に不足しているらしいが、そんな中で地道に軍事思想の古典を翻訳してくれる出版社には頭が下がる。少部数発行みたいなので割高だが、空の作戦に興味がある人は、読んで損はしない内容の濃さであった。