カザフ遊牧民の移動/松原正毅
久しぶりに面白い「自分が知らなかったこと」を読ませてもらったと思う。
この本は遊牧の民であるカザフ人が、近代の国家・国境という波の中で自らの住む場所を失い、放浪の旅に出る…具体的には中央アジア、アルタイ山脈南にある「チンギル」という地域から20年をかけてトルコへと移住するまでを描いたドキュメントである。
昔から中央アジア一帯は、モンゴル人の遊牧生活でのイメージにもある、広い草原を移動しながら生活していた人達が暮らしていた。それが、ソビエト連邦、そしてモンゴル人民共和国の成立、そして中華ソビエト共和国の成立が重なる時代から、彼等の生活は圧迫され始める。
何も無かった草原地帯に国境線が引かれ、越境の自由を奪われることと、また近代国家(特に社会主義思想では)では、定住しない人々の存在は望ましくないとの考え方から、徐々に彼等の遊牧範囲は狭められ、また民族としての弾圧も行われるようになる。そのなかで、カザフの人達は自らの生活を守るために長い旅を始める。
中国の領土からモンゴル領内へ、そしてモンゴル領内ではモンゴル軍の攻撃を受け、再び中国青島省に入ると、今度はその地域の馬歩芳という支配者より圧力を受け、彼等は逃げるようにチベット高原に向かう。
チベット高原横断の下りは、この物語のクライマックスであろう。気温零下30度以下の永久凍土の上を、当然遊牧のための食料も無く、高山病への備えも無く、途中で散発的に襲ってくるチベット軍から逃げながら、カシミール地方へとたどり着く。
カシミールでは彼等の難民としての扱いをどうするのか、カシミール行政局とインド政府、イギリス総督府などで責任のなすりつけ合いをしながら、結局カザフへの支援はほとんど行われなかった。
その為、彼等は自力でカシミールの急峻な山脈を越えムザファラバードとタルナワにたどり着く。カザフの集団が街に入ることを恐れたカシミール行政局は、ここでようやく動き始め、彼等にテントを張る場所として屋外の収容所を与えた。しかし、その収容所は、高い気温と湿った土壌、適切な医薬品の不足のため、マラリア等の伝染病によりバタバタと仲間が死んでゆく。そして、その後に移動したペシャワールで、ようやく彼等に対する支援が少しずつ動き出した。
その当時は、インドはイギリスからの独立を果たし、またパキスタンの分離独立と領有権でもめていた時代である。そんななか、遙か国境を越えてペシャワールにたどり着いた同胞のイスラム教徒(カザフ人はイスラムである)の支援についても、どことなく政治の匂いがするが、それでも、ようやくパキスタンへたどり着いた所で、彼等はひとまず命の心配から逃れられたとも言えるだろう。
その後は、たまたまバイクでその地を訪れた新聞記者の口利きでトルコへの移住話が持ち上がり(ホントかな?)、ペシャワールで暮らしていたカザフの民は、トルコを目指すことになるのだが、そちらは冒険と言うより政治的な話になる。
結果として、彼等はトルコで安住の地を見つけた訳だが、トルコでは主に皮革業に従事することとなり、一定の成功を得た人もいたようだが、そのかわり遊牧生活には終止符を打っている。既に陸地には無数の国境線が走る現在では、遊牧という生活はもう成り立たないのかもしれない。
ただ、この話を「近代の政治に翻弄された遊牧の民の悲劇」と理解してしまうことにはやや抵抗がある。おそらく筆者も、そういう視点でこの物語を記したのではないだろう…と思う。
特に、本書前半に描写されている、戦乱と逃亡、時には襲撃を伴う生活は、古来より行われてきた遊牧生活そのものの姿なのだろう。そういう意味で、本書で描かれているカザフの姿は、国境が無かった時代の遊牧らしい遊牧民最後の、リアルな記録を参照できた貴重なドキュメントではないかと感じた。
本来の遊牧民の姿、そしてあまり語られることが無かった20世紀初頭の中央アジアの政治状況、そしてイスラムの人達の心温かさ…様々な視点から楽しむことができて、やや高価ではあったがとても面白い本であった。価格に抵抗を感じる人は、図書館で借りて読んでみるといいかもしれないね。