オスマン帝国はなぜ崩壊したのか/新井政美
副題に「憂国のポエジー」と記載されている。西洋列強が躍進する前には、世界の中心とも言えるくらいの繁栄を誇った、オスマン帝国崩壊を語った本である。
本書の冒頭に「トルコはヨーロッパか?」という問いかけがある。私としては「トルコ」はヨーロッパに含めてもいいかもしれない。しかし「オスマン」はヨーロッパでは無いという認識だ。
トルコとオスマン、何となく用語がごちゃごちゃになるが、基本的にこれらの言葉は、民族的にも国家的にも同一として認識してもいいと思う。ただ、昔はオスマン、今はトルコであり、そこに住む人達の気質は変わらないかもしれないが、西欧から見た国家としての体裁は大きく違う、という認識なのかもしれない。
その国家の崩壊は、日本で言う江戸時代の始まり頃からスタートする。ウィーンの占領に失敗したオスマンは、その後躍進する西欧列強のプレッシャーをまともに受けながら、徐々に領土を割譲される。その中でも、当時のオスマンは、内部にイスラム教とキリスト教を含みながらも、極めてリベラルでフェアな国家運営を目指してゆく。それは、当時の西欧社会が目指していた進歩的国家体制の実現だったのかもしれないが、いかんせん時代が早すぎた。
当時のヨーロッパは、内政的には王権から民主政治への動きでもがいていた中、対外的にはまさに「血に飢えた狼」状態であり。当然ながら東欧に進出しようとするフランス、オーストリア、プロイセン、そして南に活路を見いだしているロシア達の餌食になりつつあった。
そういった地理的・文化的両面から東西の交差点に位置していたオスマンは、西欧各国のパワーバランスをうまく利用したつもりで危うげな対外外交を行ってきたが、結果として、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立し、ギリシアも分離し、北ではルーマニアやセルビア、ブルガリアまでが半ばロシアの衛星国として独立してしまった。そして中東でも世界大戦後には、イラク、シリア、イスラエルなど、アラビア半島大部分の領土までを失ってしまう。
個人的にトルコと言えば、戦略級シミュレーションの傑作と言われた、Avalon HillのThird Reichのトルコ軍を思い出す。確か記憶では、赤地に黒で印刷されたユニットで、海軍戦力はほぼ皆無だったが、陸軍戦力はそこそこの数を持っていた。しかし、様々なルールでそれらの戦力を集中運用できず、結局なんのために存在してるのかよくわからない軍隊…という印象だった気がする。
第二次世界大戦当時は、本書の内容からは外れる話ではあるが、なんとなくそういった国内の混乱をまとめきれないまま現在に突入してしまったのが今のトルコなのかなと、読後にはそんな印象を持った。
ギュルハネ勅令の発令と、その後の近代化を目指すオスマンの姿は、同じ時代日本が必死に近代化しようとしていた時代にも重なり、何となく他人事には思えないエピソードが満載。トルコ人は親日家が多いらしいのだが、それは、同じような時代に西洋列強に対抗するために近代化を目指し、日本が成功を収めた影で、多くの領土を失いながらも国家として独立を保つことが出来た自らの歴史にある種の理想を重ねているからかもしれない。
それと全く余談だが、少し前に読んだ「カザフ遊牧民の移動」という本で、何故トルコ人がカザフ人達をあそこまで親切に受け入れたのか…という理由が明らかになって通じた上でも、本書を読んだことは私にとっては非常に有意義だったと思う。
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