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▼2012年02月29日

大阪の国歌問題

 大阪府に続いて大阪市でもついに施行されましたね。少し下品な言い方をすれば「ざまぁみろアホ教師共が」って感じです。

 私は日本には思想の自由があると思っています。だから、別に個人が君が代に反対しても国旗がイヤだと発言しても一向に構わないと思います。その点では反国歌・反国旗派の方々の主張には、賛成はしませんが、ま…勝手にしてね。と考えます。

 ただ…教育現場で組織的にそれをやるとなると、話は別で、絶対に許せません。

 許せないと言ってもね、別に左翼思想から卒業できない教師達の一部が、勝手に君が代斉唱時に起立しなかったり、国旗掲揚を無視するとか、その程度なら別に問題にならなかったんじゃないかと思うんですよ。
 つか、そんな人間イチイチ見つけ出してつるし上げる程、みんな暇でもないし、多くの日本人は、私も含めて、そこまで国歌や国旗に思い入れはありません。正直どうでもいい問題ですし、日本はそういう教師達が目指している全体主義国家ではないので。

 ただ、そういう学校という教育の場所で、組織的反日活動を行ったり、勤務中に趣味の政治活動のビラ撒きしたり、あまつさえ子供達に反日洗脳教育を施して「思想・信条の自由」とかほざいたり…それは到底許せるものではありません。
 つかね…よく言われますけど、民間企業で勤務中に政治活動やったりしたら、即クビですよ。勿論、そういう覚悟でやっているのならそれはそれである種尊敬しますが、どうせそんな覚悟もないんでしょ。

 自分達は勤務中に好き勝手に政治活動を行い、子供達に「反国歌・反国旗」という洗脳教育を行い、それでいて給料と退職金はよこせとか、どう考えても教師達の方が頭おかしいでしょ。
 つか、自分に子供がいたとして、学校の教師がそんな反日思想を子供に吹き込んでいたら、即怒鳴り込みに行きますよ。もちろん、子供が勝手に勉強して「反日」になったのなら、ちょっと苦々しくは思うかもしれませんが、それはそれで仕方ないと思いますが。

 Twitterでも書きましたが、この問題、本当に個人の信念として、個人の範囲で勝手に反対して、卒業式等の国歌斉唱の現場で、勝手にふてくされて座っていただけなら、世間も騒がなかったと思います。繰り返しますが、それを組織でやって、調子に乗っていたのがマズかった。

 「今の教育方針が気にくわない!」「間違っている!」と思うなら、何も知らない子供達を洗脳するなどという卑怯なマネを止めて、きちんと法律の手続きに基づいて、教育方針の法律・教育要綱を変えましょう。時間はかかるかもしれませんが、法律を変えるためには、広く皆さんに理解してもらう努力をするしかありません。そのルールを破って勝手に正義面している人間は、その辺で盗んだバイクで走り出しているDQNと同じ。

 不良ばっかりの学校は、校則もどんどん厳しくなって、過ごしにくくなっていくでしょ。それと同じです。それを「思想・信条の自由」とか逆ギレして…、今時の学校教師達は、一般的生徒よりも精神年齢低くなっているのでしょうか。

 あ…そうそう、世界広しとはいえ、ラブソングを「国歌」にしている国は日本くらいだ、って事もお忘れなく。思い入れやとある時代の象徴論などを語り始めると、また別な側面もありますが、単に「国歌」として詠むだけなら、周辺諸国を含め、ここまで平和的な歌を歌う国家も、なかなかないと思います。

▼2012年02月27日

手打ち蕎麦・竹やぶ・柏本店

E2269179.JPG 昨日の日曜日は、蕎麦好きの方の間では「名店」と名高い、千葉県は柏市にある、竹やぶの本店に出かけてきました。

 箱根の店舗には以前行ったことがあるのですが、本店は初めてです、というか、すごい場所にありますね。崖の上に位置しているのですが、崖の下からお店に入ることも可能で、なにやら怪しげなオブジェの回廊を登った上に蕎麦屋さんがあるという感じです。柏ふるさと公園の崖下側駐車場からも行けるんじゃないかな。

 注文したのは、枚数限定メニューの「田舎せいろ」。お値段は1,050円とチと高目ですが、蕎麦の香りと甘みがじわっと口の中に広がり、とても美味しいせいろでした。

 あと、もう一つおいしかったのが、出された蕎麦湯。私は普段蕎麦湯って、そんなに飲む方じゃないんですけど、ここの蕎麦湯はサラサラ系の至って普通の蕎麦湯なのに、なんだかすごくおいしくて、出されたお湯を全て飲んでしまいました。不思議です。

 自動車がないと行きにくい場所ではありますが、JR北柏駅で下車して、柏ふるさと公園を目指して歩けば、20分位じゃないでしょうか。大堀川沿いを歩いてくれば、ちょっとしたハイキング気分も味わえます。JR柏駅側から来て、崖上からお店に入ることも可能ですが、できれば、ふるさと公園側からお店に入る方がお勧めですよ。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 14-45mm F2.8-3.5


竹やぶの蕎麦/阿部孝雄

▼2012年02月26日

E-3用縦グリ「HLD-4」

P2252693.JPG 時代はマイクロフォーサーズに向かっているのに、もはや後戻りできないところへ突き進んでいる気もします。

 つことで、E-3買った時に「縦グリまではいらないよなぁ」と思っていたのですが、やはりE-1で縦グリ付けて触ったりしてると、E-3でも縦グリほしくなってきちゃいました。つことで…こうた(笑)

 始め、中古でいいのがないかと思っていたのですが、既にフォーサーズの中古市場は枯渇気味で、1年前くらいは、レンズもアクセサリも、結構投げ売り的雰囲気があったのですが、最近は逆に値上がりすらしつつある気配があります。

 そんな中で、通勤中に毎日通りがかる、秋葉原「ニッシンカメラ」で、箱付きメーカ保証夏まで付きHLD-4が、12,600円で売っていたので、数日悩んだ末にゲットン!
 特に保証書付きの最近製造されたロットというのがぐらっと来てまして、というのも、初期のHLD-4は、バッテリ管理に少し問題を抱えていたらしく、すぐにバッテリ切れ警告が出るという不具合が報告されていました。カメラ側のファームウェアアップデートで直ったらしいのですが、根本的にはグリップ側ハードウェアの問題らしく、最近のロットではそれが改良されたとかされないとか…ホントの所は判りませんけどそんな噂もあったのでね。

 早速装着してみましたが、さすがふざけた価格(専用バッテリ+充電器セットで定価¥62,500!)だったE-1用HLD-2と比べて、高級感は数段劣ります。なんたってボディはプラ製だし…。
 でも、キチンと防塵防滴なのがありがたいですし、バッテリも専用バッテリではなく、純正付属品のBLM-1が使えます。それも2つ挿入できる上に、1つでも動作するのがありがたいです。ただ…バッテリについては、むしろBLL-1が使えるようにしてくれた方が、私的にはありがたかったかな。バッテリ容量的にはBLM-1を2つ合わせても比較にならないくらい大容量なんで。

 あと、BLM-1が入るようにボディを設計したツケなんでしょうけど、グリップの握りが少し太くて、あまり大きくない私の手には少し余るような感じ。やはりモノとしての性能はHLD-2の方が格段に上だと思います。装着感も、なんかしっかりとE-3本体と合体してる感じがしないし、少しぐらつきが残ります。それと、外したE-3本体のバッテリ蓋を、グリップで縦に飛び出たへこみの中に収納できるんですが、これにロックが無いのがつらい所。HLD-2はキチンとロックされて逆さまにしても蓋は落ちなかったんだけど、HLD-4は、蓋をへこみに入れるだけなので、斜めにすると「ポロッ」と蓋が落下します。E-3本体のバッテリ蓋、なくしそうで怖いです。

 と、悪口を書きまくりましたが、軽量なことはいいんじゃないでしょうか。E-1に縦グリ付けるとホント「ヘヴィ…」という状態になったものですが、E-3にHLD-4では、そこまで急に重くなったという感じはしません。あと、当たり前ですが、縦位置での撮影は抜群にやりやすくなります。これだけでも価値はあるかなぁ。

 E-3、E-30、E-5共通の製品なので、どうせ今更オリジナルフォーサーズでこれらのカメラを使ってる人は、もう買っちゃった方がいいと思うよ。新品でも2万円切ってる製品だし、やはりあると便利だしね。

OLYMPYS XZ-1


ゴリラガラスにも傷

E2259148.JPG そういえば、もう使ってないのでどうでもいい話なんだけど、一般的には「傷が入りにくい」とされている、iPhone 3Gsの傷写真。

 確か、液晶保護シート剥がした次の日くらいに、枕元フローリングの床に液晶面下向きに置いておいたら、あさキズだらけになってた(笑)

 その頃は、もう買い換えるつもりで新しい4sの発売を待っていたから、あまり気にしなかったんだけど、やはり屋外など明るい場所での使用は、この傷がテカってちょっと使いにくかったかな。

 iPhoneに限らず、持ち歩いて使う液晶モノには、一応保護シート張っておいた方がいいよ、というお話しでした。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro

▼2012年02月25日

ゆっくり乾燥もちっとパスタ

E2249094.JPG アマゾンで検索したら、何となく美味しそうなパスタを見つけたので注文してみました。

 買った製品は「ゆっくり乾燥もちっとパスタ500g」という製品で、イタリアの高級食材メーカーイナウディ社で製造されているとのこと。平日ですが、家に帰ったら届いていましたので、早速茹でてみましたよ。

 ゆで時間は7分と記載されてますが、私はペヤング30秒野郎なので、ゆで時間は大体5分位にしました。驚いたのは、茹でると太いというか「でけぇ…」って感じ(笑)になること。これは美味しそうです。

 ざるで湯切りをしてから、家にあった市販のペペロンチーノソースをふりかけて、そのままゆでたてを頂きます。まいう〜でした。久しぶりだな、こんなもちっと歯ごたえのある美味しいパスタ食べたのは。

 値段はまぁ…、パスタと考えると少々お高めではありますが、Amazonで注文しても送料ダーターだし、パスタ好きの方は是非一度、試してみては如何でしょうか?

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro


▼2012年02月19日

スターバックス・オレンジ ブリュレラテ(アイス)

E2199039.JPG スタバでドヤリング中にまた試供品もらいました。今度も、先程と同じオレンジブリュレラテですが、先程のホットと違い、アイス…冷たい方です。

 私的には冷たい方が、ホイップのふわふわ感や、オレンジのオレンジオレンジした味わい(笑)がより感じられて好みだったかな。逆にホットの方が少し酸味を感じたので、すっぱいモノ好き(特に女子に多いらしいけど)は、ホットを選ぶのも良いかもしれません。

 しかし…こう試供品をいいタイミングで何度かもらっちゃうと、肝心のコーヒー飲むのがあまり進まないというか…。マイボトル持参だから、もう一度おトイレ行って、コーヒーもって、そろそろお店出ます。ごちそうさまでした。

OLYMPYS E-3 + Zuuko Digital 11-22mm F2.8-3.5


スターバックス・オレンジ ブリュレラテ

E2199035.JPG もらった試供品は、一応本ブログで紹介することによって少しだけでも義理を通します(笑)

 つことで、本日頂いた試供品は、オレンジの香りもフルーティーな、オレンジブリュレラテ、という製品。なんというか、想像以上に「オレンジオレンジ」している味(笑)でした。

 フルーティーな飲み物が好きな人にはなかなかお勧めかもしれませんよ。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5



アジパンダストラップ

E2199021.JPG 東京は上野駅構内のコンビニで見つけました。アジパンダさんのストラップです。

 この中には本物の「味の素」が入ってるんですよ。普段から携帯などにぶら下げておいて、外食時にひと味足りないと思った時、お好みでサッと振りかけるのもいいかもしれません。

 ちなみに一部の自称自然派ヒッピーみたいな人達は、味の素や化学調味料を親の敵みたいに叩いている人がいますが、少なくとも味の素やハイミーについては、天然食品成分以外の原材料は含まれていません。

 もっとも、味の素・ハイミーの旨み成分である「グルタミン酸」は、一定以上で味覚の飽和を起こしますので、サッとひとふり以上振りかけても、気分だけで実際に感じる味覚は変わらないと、科学的に証明されています。なので都市伝説的に言われる「大衆食堂では味の素山盛り…」っても、味がわかっている料理人がやっている食堂なら多分ウソでしょう。そういう人ばかりじゃなさそうなのが現実ですが(笑)

 それはそうと、見た目もかわいいし、ちょっとした東京土産にも最適だと思います。お値段は確か500円位(?)だったかな。購入場所は、上野駅構内NEWDAYS、この構内図で見ると一番右側にある場所です。店内には何故か青森県の特産品も売ってます。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 50mm F2.0 Macro

▼2012年02月15日

戦略論大系(3)「モルトケ」

E2149000.JPG 近代の陸軍用兵の基礎を作ったと言われる、ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの著作と解説を収録した本である。

 近代陸軍用兵術の模範とまで言われる彼だが、残念ながら日本では、彼のテキストはほとんど出版されていない。その中でも代表作と言われる「高級指揮官に与える教令」は、かろうじて、芙蓉書房出版の戦略論大系(3)モルトケという本に収録されているが、長く品切れが続いており、手にするのが難しい。この度、ようやく本書を古本で入手して、読むことが出来た。

 目玉である「高級指揮官に与える教令」については、実にあっけないというか当たり前というか、それは私達が現代の戦争を知っているからであり、その古典に触れられたという事は実に有意義。
 部隊の編成や、指揮統制、行軍の原則、騎兵戦術、そして最大のポイントは指揮系統の一本化にあり、高級将校から下士官までの命令系統の統一を行い、常に連絡と報告を取り合って状況を確認、高級将校は独自に下士官、もしくは現場の兵士へ直接命令することは避けるべきという、軍組織における情報と命令系統の階層化、中央集権化を図った所にある。
 また、各指揮官に置いては、上級になればなるほど命令は包括的であることを求め、末端に行く程命令は臨機応変で具体的であるべきという、軍隊における上級と下級士官の役割にまで踏み込んでいることもポイント。

 というのも、当時の軍隊といえば、まだ中世封建主義的思想が色濃く残り、軍隊は国民のものというより、王族、貴族の持ち物であり、戦争で功績を残すことは貴族のたしなみ…のような風潮もあった時代である。
 フランスでは既に「国民皆兵」でナポレオンが大暴れして成功を収めた後ではあるが、まだヨーロッパ社会、特に東欧に関して「軍隊」は権力者の私物であり、その用兵術には標準とされる体系が存在していなかった。そんな時代において、軍隊に明確な「指揮統制」を用いたモルトケの思想は、今でいうと当たり前のことだが、当時においては革新であり、また反対も多かったようだ(もっともその近代的軍隊の創設に成功したドイツが「国家が軍隊を持つのではなく、軍隊が国家を持っている」といわれる国へと変貌したのが皮肉だが)

 それともう一つの特徴は、モルトケが用兵に取り入れた近代技術であろう。上記にある「連絡と報告」には、当時実用化されつつあった電信を用いることを主張し、また、軍隊の動員についても、当時ヨーロッパを網羅しつつあった鉄道などの輸送手段を積極的に利用するように努めた。

 また、大軍の存在意義は「攻撃以外にない」と規定しているのもユニークで、必要な場所以外でむやみに軍団の編成を行わないことを推奨しているのも面白い。

 たとえ話だが、仮に日本が北九州で外国の侵略を受け、急遽日本政府は軍隊を九州方面に派遣する必要があるとする。
 近代戦以前の常識では、東京で兵隊の動員を行った場合、動員場所の東京で軍団を編成して、そこから北九州へ行軍するというのが流れであったが、モルトケはその常識を覆し、動員場所での軍団編成を行わず、鉄道などの輸送手段を用いて兵隊を逐次移動させ、軍団の編成は作戦現地で行うとした。
 今でいえば当たり前の話なのだが、それを実現させるためには、膨大な人員と補給物資をタイミングよく集合させる必要があり、綿密な計画に基づいたダイヤグラム作成が不可欠になる。その当たり前が、技術的な制約や過去からの慣習という理由はあるにせよ、昔の戦争では行われていなかったのだ。

 また、鉄道網による大量輸送を伴った動員は、過去の戦争の例にある、単一の作戦での敗北が地域失陥につながるという常識も変えてしまった。つまり、1つの作戦で部隊が負けて損耗しようとも、事前に損耗率を計算して逐次戦場に予備兵力を動員し続ければ、一度部隊が負けて損耗しようとも、作戦を続行することが出来る訳で、この流れは、近代型の国家総力戦へとつながってゆく。

 モルトケと話はずれるが、その時代に行われていたオスマン(を代理にした英仏)とロシアで戦われていたクリミア戦争などは正にその例で、昔ながらの徒歩や馬車での軍隊動員を行っていたロシアに対し、英国は鉄道や蒸気船を積極的に使い、次々と増援部隊や補給物資を現地に送り続けていた。結果、地の利を持っているはずのロシアは敗退。もっとも戦局では有利だった英仏も「国家総力戦」を行ったツケが大きく、膨大な戦費負担に耐えきれず、誰が勝ったのかよくわからない結果として終わった(もちろんオスマンは大損こいたのだが)

 このように、国家総力戦の時代は「戦争で勝っても結果どちらが勝ったのか良く分からない」的な戦争の始まりを作った…というのが私の私見!頭痛が痛い(笑)

 本書について、19世紀東欧の歴史に詳しくない人は、むしろ後半の編者における解説文から読むことをお勧めする。私も近代プロイセンの歴史はよく知らなかったので、前半は理解が進まず、最後の解説まで読み終えてからまた読み返した所で、モルトケが言わんとしていたことが判ってきた気がする。
 ただ、中盤にある本書の目玉「高級指揮官に与える教令」については、非情に簡易で判りやすく、故にこの文章を読んだ後には、様々な戦争に関する書物を読んでみて、改めて考え直さなければ、妙な誤解を持ったまま「わかったつもり」になってしまう危険性をはらんでいるなと思った。

 本論と外れるが、個人的に面白かったエピソードは、数日前に読んだ「オスマン帝国はなぜ崩壊したのか」にあった、オスマンがボロ負けしたエジプトとの戦争時、モルトケがオスマンの軍事顧問として派遣されていたことが書いてあったこと。モルトケはエジプト軍を撃破するための有効な部隊配置と作戦を進言したのだが、それは当時のオスマン軍から無視され、結果ボロ負けをした…と書いてあるが、さて。

 あと、私は読んだことがないので知らないのだが、銀河英雄伝説に出てくる「ヤン」という将軍は、モルトケがモデルだとのことである。なんでも、背が高く寡黙で戦争よりも文学を愛し、人生の前半においては特に輝かしい功績もない地味な男…。という設定がそっくりらしいのだが。どうなんでしょ。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro


戦略論大系(3)モルトケ/片岡徹也・戦略研究学会

▼2012年02月13日

キツツキと雨・オリジナルサウンドトラック/オムトン

E2118818 今回発売されたオムトンのニューアルバムは、サウンドトラックですね。どんな映画なのか知らないのですが、とりあえず買ってみました。

 音楽的には、今までのアルバムよりもバラエティ豊かな感じなのですが、やはりサントラだけあって、ちょっと曲の尺が短いかなと。できれば、この曲をベースにもっと長くノレる曲にアレンジしてくれると嬉しいなと。

 聴いていると、相変わらず、頭をコツンコツンと叩かれる感触が気持ちよい音楽でした。よかった。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5


キツツキと雨/オムトン

▼2012年02月12日

オスマン帝国はなぜ崩壊したのか/新井政美

E2128975.JPG 副題に「憂国のポエジー」と記載されている。西洋列強が躍進する前には、世界の中心とも言えるくらいの繁栄を誇った、オスマン帝国崩壊を語った本である。

 本書の冒頭に「トルコはヨーロッパか?」という問いかけがある。私としては「トルコ」はヨーロッパに含めてもいいかもしれない。しかし「オスマン」はヨーロッパでは無いという認識だ。
 トルコとオスマン、何となく用語がごちゃごちゃになるが、基本的にこれらの言葉は、民族的にも国家的にも同一として認識してもいいと思う。ただ、昔はオスマン、今はトルコであり、そこに住む人達の気質は変わらないかもしれないが、西欧から見た国家としての体裁は大きく違う、という認識なのかもしれない。

 その国家の崩壊は、日本で言う江戸時代の始まり頃からスタートする。ウィーンの占領に失敗したオスマンは、その後躍進する西欧列強のプレッシャーをまともに受けながら、徐々に領土を割譲される。その中でも、当時のオスマンは、内部にイスラム教とキリスト教を含みながらも、極めてリベラルでフェアな国家運営を目指してゆく。それは、当時の西欧社会が目指していた進歩的国家体制の実現だったのかもしれないが、いかんせん時代が早すぎた。
 当時のヨーロッパは、内政的には王権から民主政治への動きでもがいていた中、対外的にはまさに「血に飢えた狼」状態であり。当然ながら東欧に進出しようとするフランス、オーストリア、プロイセン、そして南に活路を見いだしているロシア達の餌食になりつつあった。
 そういった地理的・文化的両面から東西の交差点に位置していたオスマンは、西欧各国のパワーバランスをうまく利用したつもりで危うげな対外外交を行ってきたが、結果として、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立し、ギリシアも分離し、北ではルーマニアやセルビア、ブルガリアまでが半ばロシアの衛星国として独立してしまった。そして中東でも世界大戦後には、イラク、シリア、イスラエルなど、アラビア半島大部分の領土までを失ってしまう。

 個人的にトルコと言えば、戦略級シミュレーションの傑作と言われた、Avalon HillThird Reichのトルコ軍を思い出す。確か記憶では、赤地に黒で印刷されたユニットで、海軍戦力はほぼ皆無だったが、陸軍戦力はそこそこの数を持っていた。しかし、様々なルールでそれらの戦力を集中運用できず、結局なんのために存在してるのかよくわからない軍隊…という印象だった気がする。
 第二次世界大戦当時は、本書の内容からは外れる話ではあるが、なんとなくそういった国内の混乱をまとめきれないまま現在に突入してしまったのが今のトルコなのかなと、読後にはそんな印象を持った。

 ギュルハネ勅令の発令と、その後の近代化を目指すオスマンの姿は、同じ時代日本が必死に近代化しようとしていた時代にも重なり、何となく他人事には思えないエピソードが満載。トルコ人は親日家が多いらしいのだが、それは、同じような時代に西洋列強に対抗するために近代化を目指し、日本が成功を収めた影で、多くの領土を失いながらも国家として独立を保つことが出来た自らの歴史にある種の理想を重ねているからかもしれない。

 それと全く余談だが、少し前に読んだ「カザフ遊牧民の移動」という本で、何故トルコ人がカザフ人達をあそこまで親切に受け入れたのか…という理由が明らかになって通じた上でも、本書を読んだことは私にとっては非常に有意義だったと思う。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5


ブローデル/地中海

_2108807 会社の近くにある古本屋(といっても日本一の古本街の一角ではあるのだが)で、セット売り10,500円で売りに出ていて、数日悩んだあげくつい買ってしまった(笑)。読まなければいけない本が貯まっているのになぁ。

 きっかけは、今の仕事で「地中海」関係のWebサイトについて企画していることから。なんとなく地中海についてググっていたら、この本にヒットしましたという訳。

 ブローデルの「地中海」は、歴史書としては古典ながらも当時は革新的な視点をもって描かれた書として有名だった。日本では藤原書店が頑張って翻訳版を出していたが、昔は一冊6,000円以上(だったと思う)した上に全5〜6巻だったはずだから、金銭的にとても手が出る本ではなかった。
 私も何度か本屋さんで立ち読みをしたが「読んでみたいけど高いよな〜」と思って手を出さずにいた。かといって図書館で借りてはみたものの、借り物の本ってのはあまり気合い入れて読まないものなんだよね〜。ちょっと読んで返却してしまった覚えがある。

 さすがに藤原書店側もちょっと高すぎると感じたのかどうか知らないが、その後に発売されたのがこの「藤原セレクション版」。全10巻で一冊1,200〜1,800円前後、税込みで全て集めても2万円弱で読破が可能ということで、それなりに売れたのか、安すぎて採算が取れなかったのか、割とすぐに絶版になってしまい、今では「普及版」という、あまり普及価格でもない4,000円前後、全5巻というボリウムでまとめられて出版されている。

 内容としては、かつての「人物・事件」を中心とした歴史記述ではなく、地中海という地域と気候、その他環境から生み出された歴史という視点で描かれたのが斬新であったらしい。
 私も試しに1巻だけ読んでみたのだが、なるほどなるほど…地中海はそのほとんどが山と接しているってのも、言われてみて改めて気がつく事実だよね。その沿岸部のほとんどは切り立った崖などで構成されている地域が多く、不覚にも地中海と言えばエジプトやベネツィアの平地に面した海を何となく想像してしまっていた自分はいきなり出鼻をくじかれた感じ。

 環境から歴史を語る視点というのは、日本では各民族学者達や網野氏を始め、その他在野の優秀な歴史家が沢山いるので、私的にはこの視点には馴染みすら感じてしまうのだが、西洋で、しかもこの本が書かれた1949年では斬新な考え方だったのかも知れない。
 歴史書の古典ということで、何となく難解な内容を想起してしまいそうだが、少なくともセレクション版の1巻については、地中海をまるで空から眺めて飛行しているかのごとく、発見と驚きの連続でドキドキしてしまう内容だった。

 今では自腹で購入して全て読むには2万円弱のお金がかりますが、普及版の1巻だけでも読んでみるのもいいいのではないか…と思いましたよ。自身の中の、地中海沿岸とイタリアの歴史感が少し変わるかも知れません。

OLYMPYS E-1 + Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


地中海(1)/フェルナン・ブローデル
地中海(2)/フェルナン・ブローデル
地中海(3)/フェルナン・ブローデル
地中海(4)/フェルナン・ブローデル
地中海(5)/フェルナン・ブローデル

22mmの視点

E2118909.JPG 先週Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5を手にしたので、昨日はそのレンズを片手に都内を少し歩いてみた。一応“シバリ”として、広角側11mm(135版フィルム22mm相当:以下22mmと表記)にズームを固定して風景をスナップする…というテーマである。

 人によって色々だと思うが、どれか単焦点レンズを1本選べ…と言われれば、迷わず28mmを選択する私。昔から広角レンズが好きだった。というか、28mmという焦点距離が、私が肉眼でみる世界にとても近いという理由もある。

 もちろん、光学的・生物学的な肉眼の視角は誰でも大体一緒だと思うが、これは普段世界をどのように見ているか…という、ある種哲学的問題にも発展することで、これ以上はメンドクサイので止めましょう(笑)、ま、つまり私は広角が好きだって事だ。

 昔学生の頃、興味半分で受講した写真のゼミでは、私の写真はいつも講師から「写真としての視点があいまい」とか「撮りたい対象をもっと整理して」みたいなアドバイスを受けていたのだが、そう言われる度に内心私は「そうじゃないんです、もっと周りも撮りたいんです」と心の中で訴えていた。恥ずかしがり屋だったので心の中だけでしたけど…。

 思えば、その頃使っていたカメラというのが、懐かしのコニカBIG MINIであり、その焦点距離は35mm。当時はコンパクトカメラにしては広角レンズだということでそれなりに評判になったようだが、私としてはまだまだ画角が足りないといつも思っていたものだ。

 その後、働き始めて、クソ忙しくて徹夜とか休日出勤とかしまくった後に買ったカメラが、一眼レフのCANON EOS-620。確かレンズは35-105mmのズームレンズで、その後50mmのマクロレンズを買い足した。その頃は、一眼レフというカメラの性能にすっかり支配されてしまい、画角に関するこだわりや不便感もあまり感じなくなっていた。

 で、大分経った後に衝撃を受けたのが、RICOH GRという28mm広角単焦点レンズを持ったコンパクトカメラ。この当時、一眼レフですらズームが当たり前だった時に、広角で単焦点でしかも高価なコンパクトカメラ、というのは画期的であった。今は無き上野の狭いビルにあったヨドバシカメラで実物を見た時には興奮したモノである。

 始めて見た衝撃から1〜2年経ってからじゃないかな。ようやくこのGRカメラを手にして、いきなりフィルム消費量が激増した。当時勤めていた会社のすぐ裏に富士フイルムのプロラボがあったという幸運もあったが、とにかくこのカメラでいろいろとつまらない写真を撮りまくった。
 いや…これは謙遜じゃなくて本当につまらないのだ。というのも、いつも歩いている道を私が見ているそのままで撮影できるというのがすごく楽しくて、少なくとも作品的写真を作る事には(いまでも)興味が無い私にとって、このレンズは本当にしっくりきていて、今でも“28mm 対角角75度”という世界が私の基準になっている。だから、デジタル時代になってもRICOHのGRシリーズは手放せないのだ。

 前置きが長くなったが、この22mm対角角89度というのは、人の目の視点を超えた領域であり、撮影した写真を見ると、現実の世界とは違った像を見せ始める世界。

 なんとなく、超広角レンズの世界を甘くみて出かけた撮影だが、肉眼で見た視点とファインダーを通した視界の違和感がぬぐいきれず、カメラを構えた位置が全く遠かったり近すぎたりと、思ったようにうまくいかずやきもきしながら約2時間で200前後の写真を撮ってきた。
 さすがに終わり近くなってくると、ある程度慣れてはきたが、なかなかあなどれない焦点距離だなぁと。

 ただ、久しぶりに楽しい写真体験ができたので、頑張ってこの焦点距離をもっと使いこなせるようになりたいなーと思う。自らが長年設定した距離感と視点の常識をリセットするには、それなりに時間がかかるだろうけど。

 もっとも、この視点に違和感を感じなくなった暁には、7-14mmとか欲しくなっちゃうのかもしれないけどね(笑)

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5


日本の家電って本当に高性能なのだろうか

 主に黒物家電の話になる。

 近頃ニュースやメディアで、よく「にっぽんのものづくり」とか「高性能な日本の家電」という見出しが躍っているが、日本の家電は本当に高性能だったか?と振り返ると共に、今の日本製電化製品は本当に優秀か?と私は思っている。

 例えば、日本家電躍進の話で必ず出てくるSONYのWALKMAN。確かにあのアイディアは素晴らしいし、その後の「小さくて高性能」な日本家電のイメージにも大いに貢献しただろうと思う。その前のトランジスタラジオについては何ともいえないのだが、とにかく「音楽を持ち出せる」という新しいスタイル、私達を解放するイメージは、私もすっかり参ってしまい、歴代のWALKMANで「高性能」なモデルが出ると聞けば買い換え、「軽い」というモデルが発売されれば買い換えるという事を繰り返していたことがある。やっぱスゲーやMade in Japan!と本気で思っていたものである。

 それがすっかりダサくてみっともなくなったのは、iPodというライバルの出現ももちろんだが、私は勝手にソニーが自滅していっただけじゃないの?とも思っている。
 F特を無視した奇妙不可解な低音質モデルを「高音質」などと詠ったり、ATRACという意味不明で誰得なコーディックをユーザーに押しつけたり、更に最大の失態は、モデルチェンジされる度に、ユーザーにとって「不便」な製品になっていったという事である。もはや彼等の目線は消費者ではなく、各種権利団体をみながら製品開発をしていたツケであろう。
 最近は少しシェアを持ち直しているといわれているウォークマンだが、それ以前に、かつてiPodを持っていたユーザーが、iPhoneにしたりAndroid携帯に変更したというだけで、単体でDAP(digital audio player)を持ち歩いてるユーザーは減っているように見えるのは気のせいだろうか?

 他、テレビについても同じような事が言える。というか、あの地デジ…チャンネル変更うざったくないですか?だれもアレを改善しようとしないのが不思議ですらある。「地デジ」という規格そのものの根本的問題点だから仕方ない…といっても、かつての日本の家電メーカーの基準なら、あんな失態は絶対に許していないと思うけどなー。
 あと、トドメはB-CASカード問題だろう。著作権保護云々といってはいるが、少なくともあの機能で消費者が不便に感じることはあっても、便利に感じる事は皆無なはずだ。
 更に、最近日本の液晶テレビは、海外製品にコスト面で太刀打ちできないといっているが、当たり前だ。訳のわからんカード認証システムと、HDMI出力へのコピープロテクトなんて訳のわからん機能を実装しなければならない訳だからね。これも、消費者を見ずに権利団体の顔色だけを伺って作った結果だろう。

 テレビに付随する録画機器についても、もう訳がわからない。録画した番組データをコピーすることも出来ないし、他の機器で再生することも出来ない。つか、機械買い換えたら録画データは基本的に全てパァだ。こんな製品誰も欲しがる訳無いし、つか、DVDレコーダーとかBluerayレコーダーとか一生懸命買い続けている人の意味がわからないレベルだ。これも、消費者を見ず、権利団体の要望ばかりを入れて作った機械の1つ。

 他、PC周辺機器などまで含めて語り出すとキリがないので辞めるが、これらの機器、ハッキリいって日本製より、韓国製や中国製を買った方が全然便利なんだよね。一時期DVDプレーヤーは高級国産機を買うよりも、投げ売りの怪しげな中華製を買った方が何でも見られて便利…と言われていた時期があったが、今でも状況は全く変わっていない。

 日本製家電は世界を解放する製品だったのに、今世紀に入ってから発売される国産製品は、どれも「世界を狭める」モノばかり。こんなもんばかり作っていて今でも「テレビは日本家電の誇り」とか言っちゃう経営者は、もはや国際的ビジネスマンというより、その辺のユーザーレベルすら判っていない無能ビジネスマンに等しい。

 私は、世界の家電がヒットする理由に必ず含まれるキーワードとして「解放」があると思っている。これは黒物だけではなく、白物家電でも同じだ。
 洗濯機は寒くて辛い主婦の労働を「解放」したし、テレビとテレビ番組は、狭かった私達の世界を「解放」した。
 ビデオデッキはテレビの放送時間に家にいなければいけない不自由を「解放」したし、携帯音楽プレーヤーは、自宅で(しかも近所迷惑にならない時間)しか聴くことができなかった音楽を、いつでも好きな音量で聴けるように「解放」したし、スマートフォンは、自宅でPCに向かわないと出来なかったインターネットをどこでも使えるように「解放」した。

 振り返ると、今の日本製家電製品は、何かユーザーに向けて「解放」してくれる機能を実装しているのだろうか。
 高性能化・高品質化・高音質化などという抽象的品質は、一般ユーザーにとって興味の対象ではない。みんな、その製品を買うと「何が出来るのか」という具体的な性能を期待しているのである。残念ながら、その期待を受ける対象では無くなりつつある日本製家電製品の未来は、全く持って暗いだろうと感じている。本当に残念なことだ。

 以前Twitterにも書いたが、日本の家電メーカーは、体力が残っている今のうちに、自社で作ったテレビや音楽プレーヤーで配信するコンテンツを、共同で作ってしまう事を考えた方がいい。既存の俳優・芸能人が権利まみれだというなら、メーカーにとって有利な条件で契約してくれる芸人や歌手、アーティストを集めればいいだけのことだ。
 そうしないと、そう遠くない未来、日本の家電メーカーはテレビ生産や音楽プレーヤー生産から撤退せざるを得ない状況になる。当たり前だ、自社でどんなに高品質、高音質な製品を作っても、そこで再生・連携利用できるコンテンツがない状況なんだから。

君はラビットスバル・RS-3という三輪車を知っているか?

E2118968.JPG 超レアな写真集。購入場所は久しぶりに出かけた東京は四谷のアローカメラ。というか、お店のブログでこの本の販売を知って、慌てて買いに行った訳だけどね。ちなみに私が購入した分で最後でしたので、もう買いに行っても在庫ありません(笑)

 この車については、私も存在は何かで知っていたのだが、レストアされた現車が存在するとは知らなかった…というか、試作で破棄されていた状態のものを引き取ってレストアしたのが、この車だそうである。

 私が知らなかっただけで、最近は旧車イベントなどに結構出場しているようだね。こういう変態旧車大好きな私だけど、あまりイベントとかには出かけない方だから、よく知りませんでした。調べてみると2011年の秋くらいに発売されていた雑誌「Old Timer」でも特集されていたようだ。

 見た目のスタイルも奇抜な所ながら、この車(?)最大の特徴は、前輪のトレッドが可変であるという点。量販品が無いので実際どうするつもりだったのかは何ともいえないが、速度によって自動、もしくはスイッチで、前輪のトレッドを拡大することが出来て、カーブなどでの転倒を防ぐと共に、車庫に入れる時はコンパクトになるという、現在のサスペンション設計者が聞いたら腰を抜かすようなアイディアが盛り込まれている。
 私は勿論経験が無いが、この当時の3輪自動車というと、交差点などで結構“コテン”と転ぶことが多かったらしく、特にトラックタイプの三輪車だと起こすのが大変(そりゃそうだろうな)だったらしい。ま、ある意味のどかな話ではあるが、そのような事態を想定して対策しちゃう所が、元中島の技術者集団変態スバルらしい話でもある。

 このラビットスバル、今は故郷の群馬県太田市で公開展示中らしい。いつまで展示しているのか知らないが、一度見に行ってみたいなぁ…と思っている。それと、今年は旧車系イベントにも出かけるようにするかな。

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 11-22 F2.8-3.5


▼2012年02月10日

Snow peak・スタッキングマグ「雪峰」

E2072934.JPG RIEDELのワイングラスを2つ程割ってしまい、更にbodum Pavinaのグラスも一週間程で割ってしまったガサツな自分にはもう、ガラス製のワイングラスは使う資格ない!と思ってつい手を出してしまった、我らがスノーピーク製のチタニウム製2層構造マグ。その名も「雪峰」ですよ!

 サイズはH200という控えめな大きさを選択しました。なんたってチタニウム製なので、容器にも匂いが残りにくく、ま…さすがに割れないでしょう。

 早速これでワインを飲んでみますと、ワインの色が楽しめないのが残念ですが、実用品としてはなかなかのものではないかと。特に冷えたスパークリングがグラスの中で温まりにくいというのがポイント高いです。

 それとは別に、このシンプルな鉄感溢れるフォルムは、他のサイズも含めコレクションしたくなるような魅力があります。ただ…それなりにお高いですけどね(笑)

OLYMPYS E-3 + Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5


▼2012年02月09日

Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5

E2052815.JPG おそらく、最後の「Zuiko Digital」レンズ購入になると思う。まだ7-14mmが欲しくはあるけど、さすがにちょっと非常識な価格だしねぇ。

 とりあえず、これでマイナーチェンジモデルと、後から追加されたよくわからん12-60mmとうレンズを除けば、Four Thirds HGレンズは全て制覇したことになる。

 11-22mmとは、Four Thirdsが立ち上がった初期に発売されたレンズ。ただ、最初期ではなく、一番始めに発売されたレンズ群、14-54mm F2.8-3.550mm F2.0 Macro50-200mm F2.8-3.5300mm F2.8EC-14から数ヶ月遅れでリリースされている。

 企画的にはFour Thirdsスタート期に開発されていたレンズなのだろうが、11-22mmでたった2倍というズームレンズは、現在の高倍率ズームに慣れてしまった私達の目からすると、やや中途半端…よく言えばマニアックなレンズだなぁと。
 そして、事実上標準レンズとして設定されていた14-54mmに比べて、広角側がたった3mmの差というのも、私が最後まで手を出していなかった理由でもある。

 ただ、当然ながら広角側の1mmは結構差がある上に、Four Thirdsでは14-54mmに比べて換算6mmも焦点距離が広がる訳で、実際に撮影してみると想像以上の広角レンズだという印象。また、14-54mmよりも広角側の描写が当然綺麗で、さらに画面の隅々まで像が真っ直ぐ歪曲しないのも気持ちがいい。
 ついでにいうと、14-54mmの広角側は、どうも換算28mmというのがフライング気味な気がしていて、アスペクト比の違いにもよると思うが、GR Digitalと比べてしまうとなんか画角が狭い印象だった。事実、スタンダードレンズの14-45mm F3.5-5.6の方が広角側がほんの僅かに広い。などと考えると、私のレンズラインナップもようやくモダンな広角レンズが加わったなぁ…と感慨無量(笑)である。

 まだ、屋外での撮影は購入当日の写真しかないので、とりあえずズームの比較写真を上げてみる。

E2052888.JPG まずは広角側11mmから。135フィルム換算で22mmの焦点距離になる。少し斜めになっているのはご愛敬。ボディはE-3使用。隅までビシッと直線が決まっているのが気持ちいい。

E2052889.JPG 次は望遠側の22mm、135フィルム換算で44mmになる。この距離は14-54mmと被るのだが、よりシャープな印象。

 今となっては立派な“低倍率ズーム”な上に、またFour Thirds規格自体の未来が不透明になってきている状況で、私自身も最後まで手を出していなかったレンズでもあり、あまり積極的に入手のお勧めはできないのだが、いざ手にしてみると、やはり「もっと早く買えば良かった」と感じる、とてもいいレンズだった。

 早く屋外に持ち出して、都市の風景などをスナップしてみたい。きっと楽しいだろう。

OLYMPYS Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5 / Zuiko Digital 11-22mm F2.8-3.5



▼2012年02月04日

カレーのちライス

IMG_1634 昨日の2月3日金曜日、打合せで横浜の関内から会社に戻る途中、東京駅で人身事故があったらしく、浜松町駅で山手線と京浜東北線が止まってしまった。
 人身事故なので、復旧までしばらく時間もかかりそうだと判断し、浜松町駅で下車、折角なんでお昼でも食べていこうと。

 地下鉄の大門駅へ向かおうと、貿易センタービルの2Fを歩いていたら見つけたパン屋さんなのかコーヒー屋さんなのかなんなのか…ガラス張りのお店の間には「特製ビーフカレー」と書いてあります。500円で手軽な価格なので、さっくりとたべてみました。店名は「明治パーラー・マロンド」というみたいです。

 食べてみたら、美味しかったですよこれ。アルミ(?)の食器が懐かしい雰囲気で、味も少し前の大衆食堂的カレー。玉ねぎがとろけていてほとんど入っていないように見えたのも、ネギを天敵にする私にとってはポイント高し。
 全席喫煙可というのが、非喫煙者の私にとってはちょっと残念ではありますが、逆にこれはメリットに感じる方もいるのではないかと。

 つことで、浜松町駅近くでお腹が空いたら是非どうぞ、お値段も安いし…というお話しでした。

 どーでもいいけど、ここ数年自分が食べようとする食べものの写真を撮ると必ず「ブログですか?Twitterですか?Facebookですか?」と聞かれるようになりましたよね。自分も聞かれました。
 「いえいえ…そういうの全然興味ないんですが、単なる記録です」と、サクッとウソついちゃうのにも慣れてきた気分です(笑)

iPhone 4s


▼2012年02月01日

ダフニスとクロエー/ロンゴス

E1312801.JPG 白状します、こんなギリシア文学の古典をいきなり読んでみた訳は、写真にある萌え萌えなイラスト見たからです。
 このイラストは「萌える名作文学」という本に紹介されています。古今東西の古典小説を中心に、ヒロインを萌えの視点で見直したという…今流行の萌える○○読本シリーズですな。この世で萌えられないジャンルは何も無いね(笑)

 ということで、この萌えイラストに参ってしまった私は、たまには古典もいいかなと思って、ゾンアマで岩波文庫版を注文しようとしたら、どうやら絶版のようで、プレミアまでは行かないけど微妙な値段で取引されています。
 ま、岩波の文庫なら、BOOKOFFを何軒か回れば手に入るかな?と思ったのは甘ちゃんで、家の近所から都内の大型店舗まで何軒か見て回ってもまるで売っていない…というか、BOOKOFF行く度に余計な本がどんどん増える体たらくなので、ここは意を決して、今勤めている会社を抜け出し、近所、神保町の古本屋街へ。そこで絶版岩波文庫の在庫に定評がある@ワンダーというお店でようやく在庫を発見しました。

 お値段は1,050円。ま、絶版だからね。ちなみに私が買った版は1987年発行の第一刷。定価は350円だけど、物価の上昇率を考えれば…って事はないかな?いや…1987年当時の日本はバブルだったし、むしろあの頃より社会はデフレ気味。そう考えると、いくら絶版とはいえ割高な買い物だったかもしれん。

 で、前置きが長くなりましたが、読んでみるともう…ね、

「きっと今のわたしは病気なんだろうけど、どんな病気なのかわたしにはわからない。痛みは感じるけど、傷なんかどこにもない。つらい気持ちだけど、羊は一頭だって減ってはいないわ。こんなに深い木陰に坐っているのに、からだが焦げるように暑いとはねえ。茨の棘がささったことは何度もあったけど、泣いたことはなかった。蜜蜂に刺されたことだって何度あったかわからないほどだけど、ごはんはちゃんと食べられたわ。でも今の私の胸を刺すこの痛みは、そうした時のどれよりも激しいの。ダフニスはたしかにきれいだけど、花だってきれいだし、あの人の笛の音は美しいけれど、鶯の声だってそれに負けやしない。それなのにいまのわたしにすれば、そんなものはみんなどうでもいいものばかり。あの人の笛になって、あの人の息を吸えたらどんなにいいだろう。それとも山羊になって、あの人に飼ってもらえたら…。水だって意地悪ね、ダフニスだけをきれいにして、私が水浴びしてもなんにもならなかったのだから。」

 とかもう、今風に言うとメンヘラ少女的な恋心というかヘンタイ妄想爆発のイタい喪女みたいな感じです。でもクロエーたんは美少女なんだけどね。

 つー感じに、全編にわたりダフニスとクロエーがいかにお互い好きかを延々と語りやがり、読み進めるにつれリア充爆発しろと叫びたくなりますが、古典の割には翻訳がいいのか元の文章が優れていたのか、すらすらと読み進めることができます。
 あと、当然ながらふたりの間にはいくつか恋の障害があるのですが、一般的恋愛小説と違って、それらは割と簡単に解決してしまい、むしろダフニスとクロエーの人としての成長というか、エロ度のレベルアップが主体に話が進んでいきます…っていうか、一日に何度も接吻かまして、裸で抱き合って、それでもお互い何も無いってどういうことよ!リア充爆発しちまえ!(笑)

 といいつつ、やはり長く読まれてきた古典は古典。3世紀ギリシアの美しい風景の中の男女の恋物語という王道、たまにはこの世のヒネた視点を忘れ、素直で美しい感情に思いを馳せながら、若きふたりの命の営みを味わう文化的読書というのもいいものですよ。

OLYMPYS E-3 Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5


ダフニスとクロエー(岩波文庫 赤 112-1)/ロンゴス・松平千秋:訳
萌える名作文学 ヒロインコレクション/萌える名作文学製作委員会

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