科学嫌いが日本を滅ぼす/竹内 薫
確かに、身近では科学の話題は何となく嫌悪されている気はするし、日本で発行されている科学雑誌も極めて低調。というか、そもそも少年少女向け小説(もともと少女向けはあまりなかったか)に、科学ガジェットが存在する事もめっきり減った。
今の子供達に「ワープとは時間と空間を跳躍すること」といっても理解してもらえないかもしれない。
科学的である事、理論に基づいた実証は、いつの頃からか、日本では「理屈っぽい、ヲタっぽい」というレッテルを貼られるようになっている気がする。
特にメディアではその傾向が顕著で、報道されるニュースは科学的冷静さを持った話題はどんどん減り、被害者意識を振りかざしたエキセントリックな映像ばかりになった。
みんな忘れているかもしれないが、日本は「科学力」で経済発展を遂げてきた国だ。その国民…というか、政府が科学を軽視する傾向は一体何なんだろうか?昨今の「はやぶさ」にしても、国民的人気(それがお涙頂戴的価値観だったというのが皮肉だが)がなければ、プロジェクト自体潰されていた。
一方でスーパーコンピューターの仕分けでは、元グラビアアイドルのバカ議員が「2位じゃダメなんでしょうか」とか平然と抜かす。国民を代表する職業に就いている連中ですらこうなのだ。
しかも、こういった「人災論」では、なぜか、高さ10メートルの防潮堤は、ほとんど問題になっていない。被災した各地に備えられていた防潮堤が完全に機能していたら、2万人近い死者・行方不明者の多くは被害に遭わなかったであろう。だが、マスコミのほとんどは、防潮堤については何も言わず、原発の備えだけを問題にしている。まるで、防潮堤を襲った津波は「想定外」だったが、原発を襲った津波は「想定できたはず」と言っているようだ。
科学的冷静さを失った、ムードばかりを煽る日本のメディアは、上記の矛盾点にきちんと答えられるのだろうか。そして、私達も知らず知らずこのような「後出しじゃんけん的」というか「勝ち馬に乗りたがる」的視点になっていないだろうか。もう一度、自分自身も反省したいものだと思う。
また、同じ章には「思想的な大声のせいで、科学的発言がかき消されて…」ともある。福島原発という重大事故を目の前にしても尚、この国のメディアと国民は、原発反対派も賛成派も全く冷静で科学的な議論ができていない気がするのは、気のせいなんだろうか。
科学力を失った日本には、もう何も残らないのだ。
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