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▼2016年06月25日

漂流の島〜江戸時代の鳥島漂流民達を追う

IMG_7649.JPG 副題に「江戸時代の鳥島漂流民達を追う」とあり、鳥島という言葉に反応して買ってしまいました。

 鳥島といえば今は無人島…というか、歴史上有人だった時代は明治時代の一部、そして太平洋戦争中から気象観測所が廃止されるまでのごく短い期間となります。その中で街らしい体裁を持っていたのは明治時代のみでしょうか?周囲は断崖絶壁に囲まれている上に、島にある山は活火山でいつ噴火するか分からないという状態。
 この本で知ったのですが、明治時代にはアホウドリの捕獲で財をなしていた島唯一の村が水蒸気爆発で吹っ飛んだ…という、なかなかに壮絶な島です。現在こちらの島は絶滅危惧種となったアホウドリの貴重な生息地として、厳しく立ち入りが制限されているとのこと。もっとも行きたくても普通の人ではたどり着ける場所にある島ではないのですが…。

 ただ、この南海の孤島に命を助けられた人は何人もいます。その中で最も有名な人物は、幕末に活躍した「ジョン万次郎」。彼は鯨取りの漁師でしたが、四国土佐沖で乗っていた船の舵が壊れ、そのまま漂流して鳥島にたどり着きます。この鳥島はちょうど日本の南を流れる黒瀬川(黒潮)の通り道にあり、江戸時代にはジョン万次郎の他、何人もの船乗りがこの島に漂着していたそうです。

 もっとも漂着できたとしても、食料も水も何もない島ですから、沢山の人がこの島で命を落としています。ただ、中にはがんばって生き延びて、海から漂着する木材などで船を作り八丈島へ脱出した人、または時折通りかかる外国の捕鯨船(この島は太平洋で捕鯨漁をする帆船の目印になっていた)に救出されたりする人もいました。ジョン万次郎もそれらの捕鯨船に救出された1人です。

 ということで、日本の海難史的にはなかなか重要な島ではあるのですが、この島について語っている本はほぼありません。江戸時代の漂流話を小説にしている本は何冊かあるようですが、現地に上陸して島を調査しているという本については、私は知りませんでした。なので本屋さんで「鳥島」の文字があるのを見て、オッ!と思って買ってしまったのです。

 本屋さんで歴史書のコーナーに並んでいたのですが、本書は歴史書ではありません。いうなれば「鳥島に上陸したルポ」です。ただ、その目的が自然環境調査ではないことに意義があります。というか、江戸時代の漂流民について知りたくて鳥島に上陸した記録はこの本が初なんじゃないですかね。というのも、本書に書いてありますが、今の鳥島は「アホウドリの生態・火山活動の調査」以外の目的では、ほぼ絶対に上陸許可が下りないからだそうです。
 この本の著者も、名目上は火山活動の調査で初上陸を果たすのですが、実際の興味が江戸時代の漂流民にあったことから、再度上陸許可が下りることがなかったとのこと。この辺は、おそらく役人同士の権力争いや管轄争いのせいなんでしょうけど、読んでいて不愉快な気持ちになりました。

 ということで、本書の内容はかなり未完な感じです。ネタバレな感じではありますが、あとがきにも「刊行後何十年も経ってからこの本を手にする人がいるかもしれない」とあります。少なくとも今の時代は江戸時代の漂流民や、明治時代の離島文化史を調査するために鳥島へ上陸することは不可能ですが、遠い未来なら上陸可能になるかもしれない…という望みと共に締めくくられています。

 結果としてはそういう話ですが、それに至る過程…鳥島への上陸許可を得るまでの話、上陸までの話、そして上陸してからの現地活動などは、読んでいて引き込まれます。過酷な島の環境と、人が暮らすインフラが全くない場所での生活、こういう体験は今の時代ではなかなかできませんね。

 現在日本には6,847の島があるとされており(周囲0.1km未満の岩礁などは除く)、そのうち人が住んでいる島は305島しかないそうです。こうやって考えると、日本にもまだ人跡未踏の場所は数多く存在するのかもしれません。

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▼2016年06月16日

桝添知事、やめるってよ

 ようやく桝添知事が辞任する意志を固めたらしい。
 私は都民ではないけど、毎日東京都で仕事している訳で、その際公権力者である都知事の動向にはとても興味があります。

 結果としては、桝添氏本人のずさんな政治資金使い込みにより辞職へと追いやられたのですが、批判のきっかけとなったのは、市ヶ谷の韓国人向け教育施設の問題、それと熊本地震発生後に出かけたワシントンでの派手なパフォーマンス(真っ赤なベントレーのコンバーチブルに乗って得意げに手を振ってましたよね)かなぁ…と。それらの素行から桝添都知事のやることに違和感を覚えた人が増えたからかと思います。

 しかし…テレビや新聞などのマスメディアって、本当に勝ち馬に乗るのが大好きなんですね。私は就任当時から桝添氏は都知事にふさわしくないと思っていましたので、アンチな情報も目に付いたのですが、政治資金でのクレヨンしんちゃん購入や美術品のコレクションは、彼の都知事就任当時からネットで何度も言われていたことです。
 任当時のイケイケな雰囲気の中ではそういう問題を全く報じることがなく、世間の潮目が変わったかな?と思った途端に、まずは週刊誌、そしてテレビや新聞がこぞって彼をぶっ叩き始めました。正直ちょっとかわいそうだなと思いましたけど、これがマスメディアってモノなんでしょうね。

 私が桝添氏は都知事にふさわしくないと思っていた理由は、東京オリンピックの予算についての問題からです。この先は自分の妄想ですが、おそらく猪瀬前知事が「コンパクトな東京オリンピックへ」と言っているのが、既存政治家達には邪魔でしょうがなかったんでしょう。折角の大イベントなのに利権の旨みないですからね。そこでタイミング良く徳洲会からの政治献金の問題があって辞めさせられた。
 次に登場したのが、森前総理や自民党の支持を受け担ぎ上げられた桝添氏。おそらく彼等はオリンピックで稼ぎたいんだろうな…と思っていたら、案の定就任後2年でオリンピックの予算が当初より6倍!1.8兆円にふくれあがりました。たった2年で6倍ですから、オリンピックまであと5年?このまま行けば最終的には総予算5兆円超えるのか?ってペースです。これは極端にせよ、新しモノ好きで派手好きで見栄っ張りな桝添氏のこと、オリンピック予算を圧縮するなんて方向に舵を切る筈はなく、このままいけば東京オリンピックは世界史上に輝く金満オリンピックになっていたかもしれません。

 また一部では「こんな問題で都知事を辞めさせて再選挙で50億円も余計にかかるしもったいない」なんて意見もありましたが、選挙費用50億円で膨らみ続けるオリンピック予算がストップする(かもしれない)ならむしろ都政にとっては大儲けでは?ついでにもったいないとか言うなら、同様に辞めさせられた猪瀬前知事の政治献金は税金ですらないし(しかも使わず返してるし)、彼が知事のままなら、当初の予算通りって事はないにせよ東京オリンピックは既存施設を有効活用したコンパクトオリンピックとして進行していたはずなんですよね。単純にお金の問題だけで言えば、猪瀬前知事を辞任に追い込んだ経済的損失は計り知れないのでは?と思います。

 私は猪瀬前知事が描いた東京オリンピックへのコンセプトも支持していたし、また彼が行っていた都営と営団地下鉄の融合策は、都内で地下鉄を利用する私達にとってはとても魅力的なプランでした。それと都バス24時間運転もね。
 これらは桝添知事になってから全て放棄されてしまい、その代わりにオリンピック予算を膨らませることと、税金使って「都市外交」なんて意味不明な事をしていただけでした。本当に辞任して頂いて良かったです。

 それとまぁ…今回の桝添知事の辞任劇、メディアの暴走みたいな言い方もされてますけど、私としてはなんだかんだで大筋で良い方向なのではないかと思っています。
 つまり、例え法律に違反していなくても、不適切かつ一般市民の理解を得られない行為を繰り返せば辞めさせられるということ。この前例を作ったことは、次に就任する都知事にとってはけじめや教訓として生きるでしょうし、より緊張感をもって仕事もしてくれるでしょう。こんな些細なことで叩かれるようなら誰も都知事なんてやらない!じゃなくて、そういう些細なことを大事にしてくれる人ではないと、これからは東京都のリーダーになれないということでもあります。それか、多少の不祥事は帳消しにできる位の実績を残しているか?ですかね。

 なんの実績も残していない知事が、違法ではないけど不適切な会計処理をしたら確実に辞めさせられる…その前例を作っただけでも、今回の辞任劇は都政にとって少しはプラスになったんじゃないかな?なんて感じました。

▼2016年06月12日

ツバキ文具店/小川 糸

 長い間本を読んでいると、いわゆる「ジャケ買い」ならぬ「タイトル買い」をする本があります。このツバキ文具店もその一冊で、小川糸という作家について、今まで読んだことがなかったのですが、何となくタイトルと表紙のイラストに惹かれて購入。どうでもいいけど、最近では新刊の本もビニールで覆われて中が読めなくなっているのね。購入したのはアキヨド7Fの有隣堂だったんだけど、なんだか世知辛い世の中です。

 そういえば自分の場合、いわゆる小説というジャンルはあまり読まないのです。年間多くても10冊行くことがない。ついでにいうと、ここ2ヶ月位の間、まともに本を読んでいなくて、たまにこういう短期間の本離れの時期はよくあるので気にしていなかったのですが、何かの本がトリガになって、また読書量が一気に増えるという事が多い気がします。この本はまさに今回のプチ読書離れのトリガになった本でした。

 内容は、鎌倉の文房具屋であり代書屋でもあるお店を継いだ女性のお話。夏・秋・冬・春といった章立てになっています。文房具好きな人にとっては、登場する文房具の描写がタマランそうですが、むしろ自分は作中に登場する食べものの方が気になりました。そういえば、最近の文芸小説ってみんな食べものについての描写が凝ってますよね。これもブームのひとつなんでしょうか。あと、作中に登場する代筆の手紙の実物(?)が掲載してあるのも面白い。手書きの文字ってのはいいですよねぇ。

 他、実在する鎌倉のお店も多数登場して「あ…この店入ったことあるな…」なんて事を考えながら、1日一章というペースを守って読みました。小説の場合は一気に読んでしまうとなんだかもったいない気もしますからね。

 ネタバレになるので書きませんけど、ラストは不意に涙ぐみそうになりました。

ツバキ文具店/小川 糸

▼2016年06月09日

丁子地区散策

IMG_7570.JPG 丁子…と書いてすらすら読める人は少ないんじゃないでしょうか?丁子とは「ようろご」と読みます。ATOKでも一発変換で出てきます。こちらは千葉県の香取神宮東側にある集落です。いわゆる難読地名ってやつですね。

 この丁子という町名の由来ですが、この街についての記述がある忘れられた日本の村の著者である筒井功氏によると「丁」は成年に達した男子、働き盛りの男性を意味し、また「よほろ」とも読むそうです。詳しくはその本を読んで頂くとして、つまりは、香取神宮の神輿を担ぐ人達が住む街…だったとのこと。
 この一体は、香取神宮から東に1km程?一度丘を降りて水田地帯を行きまた丘が始まる辺りにある集落となります。

 ちなみに漢字で丁子と書くと「ちょうじ」とも読みますが、そうなるとグローブの木という意味になります。しかし、この名前はこちらの地名と関係はないようです。

 訪れたのは、日曜の昼下がりといった時間で、天気も初夏の五月晴れでカラッと乾燥したよく晴れた日。その印象もあるのでしょうか、適度な里山に囲まれたこの一体は、とてものどかで暮らしやすそうな地域だと感じます。
 そういえば、走っていてふと見つけたライステラスというお店がとても雰囲気よさげで、いつかこのお店のテラスでのんびり風景を眺めながらお茶でもできたら素敵です。

 話は変わりますが、延喜式に出てくる三大神宮というと、伊勢神宮鹿島神宮、そして香取神宮となり、何故かこの地域には、古来よりの三大神宮のうち2つが集中しています。
 その理由について今となっては分かりませんが、少なくとも延喜式の時代、この地域の風景は昔と大分違っています。現在利根川とされているこの河川は、かつては鬼怒川の本流であり、また現在水田となっている部分は外浦逆浪の一部となっており、広大な内海が広がる場所でした。ちょうど、今ではこんもりと盛り上がっている丘の部分が半島みたいなイメージでしょうか?
 そう考えると、現在の鹿島神宮も、北の鹿島灘から広がる岬の頂点に建立されていますし、香取神宮も千葉側の内海入り口を睨む岬の場所に位置しています。
 また、御前にある小さな岬には、いくつかの山城と神社が祭られています。おそらく神社となっている場所は、当時この内海を監視する見張り台のような役割だったのかもしれません。

IMG_7542.JPG こちらの鳥居はそのひとつ、玉田神社。今では濃い樹木に覆われて平地を見ることはできませんが、建立されたと言われる1190年当時はまた違ったのかもしれません。

 MGFで登って行くにはちょっとためらうくらいの細い道を登ってゆくのですが、そのせいか辺りには人気がなく、なかなか雰囲気があります。

IMG_7556.JPG そこから成田線の方に下ってゆき、東に向かうと、側高神社があります。どうやらこの地域にはこの「側高」の名前を持った神社がいくつかあるみたい。先程の玉田神社から少し西、丁子地区の端にも同じ名前の神社があるそうで、そちらは昔、山城として使われていたようです。

 さて、丁子地区をくまなく徘徊して、これ以上うろついていると通報されかねない(笑)、程になってきましたので、いよいよ本丸である香取神宮へ。
 一応MGFで表側の参道を見て回ってから、裏側の丁子側から本殿へ近づきます。そうすると本当に本殿目の前に駐車場あるのね、しかも無料で。そこにクルマを置いて、香取神宮を見て回ります。

IMG_7586.JPG 香取神宮はさすが観光地としても有名なだけあって、境内は広く整備されています。最近本殿の修復があったようで、建物はまだとてもキレイで人工的。
 あまりにピカピカだとなんとなく御利益が下がっている気もしないでもないですが、これが日本の神社の良いところなのでしょう。定期的に新しくすることで古代からの技術が失われず伝承しているのです。

 繰り返しになりますが、かつてこの一体は広大な内海が広がっていました。今水田になっている部分は、ほとんど湖の一部、あるいは湿地帯です。それを前提に、この香取、鹿行地域の風景を眺めてみると、また違った風景に見えるかもしれません。

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香取神宮で買ったお守りはハマグリ(ホッキ貝?)の形でした。

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