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▼2018年03月28日

M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PROも買っちった

https://farm5.staticflickr.com/4776/39963853705_8f0b9d5b1d_m.jpg そういえば、こちらのレンズについての紹介をしていませんでした。マイクロフォーサーズ渾身の超広角レンズ、M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PROです。

 購入時期については、実はこの12-40mmと同時購入していたのですが、ちょうど店頭在庫を切らしていて、入荷の連絡は翌々日くらいにきましたけど、受け取りは1週間後くらいでした。

 Zuiko Digitalの超広角レンズといえば、ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F4.0が有名。プロのカメラマンでもこのレンズのためにフォーサーズを選んだという人が何人かいた気もします。かくいう自分も、デジカメ雑誌でこのレンズによる見開きの写真を見てフォーサーズのデジカメが欲しくなったのです。

 もっとも、E-1を購入した当時で、このレンズの価格は新品で20万円弱もした時代。まずは標準レンズの14-54mmを手に入れる必要があったし、更にその当時で20万円のレンズを買うのはなかなかの決断を迫られる金額でもありまして、その当時いい仲だったひと(笑)に相談したら「仕事で使う訳でもないのに20万円は高いと思う」なんてありがたいかつ冷静なアドバイスを頂いた事もあり、なんとなく心証的に買えそうで買えないレンズとして、ずっと自分の頭の中でくすぶっていたのでした。

 そんなこんなで時が経ち、フォーサーズもマイクロフォーサーズへと進化する中、2015年になって待望の新型7-14mmがOLYMPUSより発売となります。解放値もF4からF2.8へと進化して、お馴染みの防塵防滴仕様。これは欲しい!と思ったのですが、当時はマイクロフォーサーズのボディ持ってませんでしたからね。その後中古でOM-D E-M1を入手しますが、買った当初はマイクロフォーサーズのレンズはしばらく必要ないかなと思っていました。

 ただ、EM-1でマイクロフォーサーズレンズを使われている人を何人か見るとね…やはりコンパクトなマイクロフォーサーズボディにコンパクトなレンズはうらやましいな…ということで12-40mmを買ってしまった訳ですが、その時に気が大きくなってつい…この7-14mmも発注してしまった訳です。値段もなんだかんだで11万円台まで下がってきましたからね。
 ちなみに、旧Zuiko-Digital 7-14mmと同スペックなレンズとして、パナソニックのG VARIO 7-14mm/F4.0 ASPHがあるのですが、こちらも結構欲しかったんですよね、ただ、防塵防滴じゃないという点と、OLYMPUSのボディにはあまり相性がよくないとのことで、購入を控えていました。

 実際使い始めてみると「あぁ〜このレンズ買って良かった」としみじみ思いました。私は元々被写体としては街並みや風景を撮ることが多いのですが、今まで持っていた一番広角なレンズ11-22mmでは撮れなかった世界が撮れます。
 特に素晴らしいと感じるのは、狭い路地で街並みなどを撮影するとき。
 自分の撮影スタイルは、その風景にある特定の被写体を浮かび上がらせるというより、その場所の雰囲気全てを収めたいと考えてしまう方なので、7mm側にズームしたときに撮れる圧縮された空間は、撮影後にデータを見返してみても我ながら本当に見応えがあると感じます。
 ただ、作品としての写真を撮るためにこの超広角レンズを使いこなすには少し練習が必要かもしれません。適当に撮るだけだと、周辺が変形した何の変哲もない風景写真が撮れるだけです。まぁ…私的にはそれでも充分なのですが。

 この形状から想像がつくと思いますが、当然保護フィルターは装着できません。無理すればこういったリングをかませて保護フィルターを装着することも可能ですが、基本は前玉むき出しで使うしかないかと思います。
 その際ですが、ズームをテレ側(14mm)にすると、前玉がフードの中でそれなりに引っ込みますので、このレンズをキャップを装着せず持ち歩く際は、撮影後すぐにレンズをテレ側にズームするクセをつけた方がいいかもしれません。何かの拍子で前玉を傷つけてしまったら…修理にどのくらいの費用がかかるんでしょうね、あまり想像したくはありませんけど。
 ちなみに上にある写真はズームをワイド側にして前玉を出した状態です。ちょっとドキドキしますよね。

 実際に撮影した写真は、既にこのブログで何枚も公開していますので、ここでは特に作例など掲載しませんが、飛び出た前玉に憶せず、これからも積極的に外に持ち出して使っていきたいレンズです。

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↑この雑コラも早く使わないと旬を逃してしまうw

iPhone7 Plus

▼2018年03月18日

柏…そこは千葉県の最先端で最前線!

P3180569 あしたの今日子さんってマンガがありまして「柏…そこは千葉県の最先端で最前線!」なんてセリフがあった記憶があり、結構前の記憶だったと思いましたが、調べたら最終巻は先月発売だったのね。細々と長いことやってたんですね。
 つことで今日柏に行ったら何となくそのマンガを思い出しました。このマンガ柏フリークには是非お勧め!なんだけど…JR常磐線以北の柏市は全くといっていい程登場しないのがTX系の住民にとってはやや不満。

 と、そんなネタはどうでもいいのですが、今日は天気もいいしブロンプトンで柏市方面へ。途中でおいしいパンが食べたい気分になったので、まずは東武アーバンパークライン(野田線)江戸川台駅近くにあるLIFEというパン屋に寄りました。

 柏方面と言いつつこのお店はギリ流山市になるのですが、それはともかくここのパンはおいしい。
 どうでもいいけど街のパン屋さんって外観だけで何となく売ってるパンの味想像つきませんか?ここのパンはどちらかというとキッチリ堅くて歯ごたえしっかり系のパンなんですが、昔偶然見つけたとき、外の雰囲気からして「こりゃ買わんとあかん」と思いましたからね。逆にふわふわでやわらか〜なパンが食べたい時ってこういう看板のパン屋さんには入らないと思うんですよ。なんでなんでしょうね。

 ライフであんパンとフランスパンを買ってから、江戸川台駅前にある広場のベンチに移動して、途中のおおたかの森のスタバでボトルに入れてもらったコーヒーを飲みながらパンを食べる。文章にするとシャレオッティーな感じですけど、もちろんそんな雰囲気はなかったです。

 昼食後はいよいよ柏市内を散策。まずは気になった街並みからひとつ。まだギリで柏市内ではないんですけど…。

P3180584 こちらは江戸川台9号公園前の商店街。日曜日なのでみんなお休みなのか、或いはもうやってないのか。広い通りの歩道にアーケードっぽい屋根がついているのが一層淋しげというか味わいがあります。

 しかしこの「江戸川台」って地域はなんだか住むのに居心地良さそうな地域ですね。駅の方には先程のLIFEというパン屋さんもありますし、その隣には高級スーパーである京北スーパーもありますし、その隣にはよくわからない激安スーパーマーケットもたくさんあります。私も大人になったら(笑)こういう街に住んでみたいです。

P3180591 その後はふらふらと柏方面に向けてブロンプトンを走らせ、流通経済大学付属柏高等学校のグラウンド方面へ。このグラウンドは柏の雑木林の中にあり、更にグラウンド脇には野馬土手と呼ばれる土手があります。そしてその上にはベンチが置いてあり、地元住民?と思われる人達が、高校サッカーの練習試合を観戦していました。

 自分も15分位?、ネット裏のベンチに座って一休みがてら観戦していましたが、この距離で見るサッカーはなかなか面白いですね。選手同士の当たりなど、テレビで観戦するのとは違った迫力があります。

P3180597 その後は、柏市北部の雑木林地帯を適当に散策。
 しかし…この辺もすっかり開発が進んでこの手の雑木林が消えてしまいましたね。以前はこういう林の中によくわからないため池や湿地帯が点在していたものですが、それらをつないでいた雑木林が既にモザイクのように開発され伐採されたせいか、そういう湿地帯みたいな場所はもう残っていないようです。

 ごんぶくろ池周辺も昔は本当に回りが雑木林だった気もしますけど、今では池の周辺もすっかり開発されています。

P3180624 雑木林一帯を抜けると、次は東大キャンパスの中。広い敷地内にでっかい倉庫で更にそこから鉄道のレール…これって標準軌…いや、広軌かな?一体何のためにこのレールはあるんでしょう?というか、ここって普通に入っていい土地なのか?

 付近を見渡すと、分解されたと思われるでっかいコーン(直径2mくらい?)と、破断したようなでっかい流線形っぽいパーツが置いてありました。一体何なんだろう?調べてみるとここは東大の物性研究所らしいです。

P3180635 そこから少し南に下ると、なんと!千葉県柏市に「蔦屋書店」ができていました。さすが日本の知能の頂点が集まる東大の街柏の葉ですね。

 もっとも、色々なところで書いているとおり、蔦屋書店ってのは本屋さんとしてはかなり微妙なので、一応中は見て回りましたけど、あまり欲しい本も見当たらず。
 2Fには都内でもちょっと珍しい広さの児童書専門フロアがありましたので、この付近に引っ越してきた若い家族連れが過ごすにはいい場所だと思います。

 どうでもいいですが、蔦屋書店と看板はあっても、この建物内だけでカフェが5件もあるという…実は書店というより、フードコートの廊下に本が並んでいるようなもんでしたね。そういう雰囲気もまた今では受けるんでしょうけど。

P3180641 さて、TX柏の葉の方面に向かっていくと、いきなりな超高層の街並みが迫ってきます。なんというか圧がすごいですね。こんなに密集して超高層な物件建てて大丈夫なのかと思いますが、なんたって柏の葉は東大生が通う街ですから、それなりにお金持ちも住んでるんだろうなぁ。

 ここはTXに乗れば30分で秋葉原まで行けるし、空は広いし柏って実は結構住みやすい場所なのかもしれません。ただ…周辺の開発はもう少し慎重にやってほしいなと思います。

P3180666 そこからブロンプトンで20分くらい?JR柏駅前の2番街前にやってきました。さすが千葉の渋谷と呼ばれる柏。日本で始めてペデストリアンデッキができたのも柏。ちょっと前に閉店したメロンブックスも再び帰ってきた若者の街、柏です。
 ちなみにこの2番街、1番街は存在しません。何故1番街が存在しないのかというと、常に一番を目指す向上心を忘れないように、敢えて2番街という名前の商店街にしているそうです。さすが千葉の渋谷である柏!向上心も忘れません。

 ま…JR柏駅前はあまり用がないので(失礼)、ちょっと離れた場所にある柏のユニオンをのぞいてから、帰路に入ります。

P3180712 帰りは柏市から松戸市方面の坂のある辺りをふらふら寄り道しながら帰ります。そしてこの写真!この坂道なんですけどね、ここは松戸市立第三中学校脇にある坂道。何故か私はこの坂道が大好きなんですよね。

 いやべつに…タモリみたいに坂道愛好家って訳ではなく、強いて言えばもう少し視点が広い街並みとか景観を愛する変態なのですが、ここの坂道は何故か大好きで、クルマでも柏市方面に来たときは敢えてこの裏道を通ったりしています。

 坂の上から見る景色と、急坂の途中にある宅地用引き込み道路、そして坂の下にある勾配のついたT時交差点など、どれも見所がいっぱい!付近に休憩できるベンチでもあれば、のんびりとこの坂道を見て過ごしたいのですが、さすがに普通の住宅地の中にあるので、そんな事したら通報されてしまいます。一応坂の上には小さな公園があったりするのですが、園内からはこの道路が見えないので私的には意味がない。この坂道はGoogleストリートビューで見ることができますので、現地に行けない方はこちらでじっくりと堪能なさって下さい。

 坂道を堪能した後は、国道6号線を渡って、つくばエクスプレスの南流山方面へ。こちらも真っ直ぐ向かった訳ではなく、流山市内を色々と散策しながら走っていたのですが、その話はキリがないのでまたそのうち。

 当日の走行距離は、BeeLine NAVIで51km程度でした。

P3180628
↑国産初の大型超高圧高温実験装置の実働模型

OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital 7-14mm F2.8 PRO


街に本屋さんが多すぎる!

 今朝ニュースを見ていると、名古屋の児童書専門店メルヘンハウスが閉店するという話題をやっていました。なるほど…確かに少子化だもんな〜子供向けメディアは辛いよなぁ〜ポンキッキも終了するしなぁ〜なんて思って見ていると、ニュースの姿勢としては、児童書と言うより本屋さんの総数が減っているから、みたいな話題を取り上げていましたね。
 最後まで見なかったのでオチがどうなっていたのか分かりませんが、この児童書専門店閉店については、本屋さんの減少よりも昨今の少子化の影響なのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

 若い人が本を読まなくなった!

 という話は、なんだか自分が生まれた頃から聞いている気がしますが、ここ10年位の町の風景を見ていると、確かにみんな本を読まなくなったようです。昔は通勤中の電車に乗ると、週刊誌とか少年ジャンプとか片手に持ってる人沢山いましたからね。今だとそういう人はすっかり見なくなりましたので、なるほど…日本人は本を読まなくなったのかもしれません。

 といいつつ、もう少し考えてみると「読書ってなんだ?」みたいな気も実はします。
 海外だといわゆる書籍を売る本屋さんと、雑誌やコミック(海外のコミックはほぼ雑誌形式)を売るマガジンハウスが割と分離しています。私は不幸ながら海外には生涯一度しか出かけたことがないんですが、その時に町をふらついて入った本屋さんは売り物が全て本。当たり前ですけどね。そしてちゃんとしたお店の形をしています。で、いわゆる雑誌を売っているマガジンハウスは、日本で言うたばこ屋さんみたいに人通りが多い街角にちょこんとあったりします。実はたばこ屋さん利用したことがないのでよくわからないのですが、そんなノリだと思って頂ければ。あ、実は渡航経験が一度ってのも自分は不幸だと思っていません(笑)

 何が言いたいのかというと、最近の読書離れって数字が大きいのは雑誌やマンガ離れだったりして、実はほとんどの人はそういうちゃんとした本を元々読んでなかったのでは?って思うのです。もちろん、雑誌にだって立派に読書と言えるないようようなモノもありますし、書籍にしたって「これが読書?」みたいに感じるモノも結構あったりしますが、そこは大雑把に考えていたければと。

 ここからは完全に私の個人的な印象でしかないんですが、そもそも上記に書いたような偏見で考えると「読書」をしてる人って元からそんなにいたのかな?なんて思ったりします。自分が働く業界はどちらかというと本を読む人が平均より多い業界なのではないかと思うのですが、にしたって以前も書いたように「お勧めの本はなんですか?」なんて聞かれることもあったりと、決してみんなが読書まみれになっている訳ではありません。そう考えると個人的に「実は本屋さんの数ってまだ多すぎるのでは?」なんて思ったりするのですが、そういう話を数少ない読書好き…な人に話すと怪訝な顔をされることがほとんどです。

 統計を見ると、2017年の時点で日本全国には書店が12,526店あるそうですが、それを2016年の全国の自治体数で割ると、一自治体毎に平均7件強の本屋さんがあることになり、そう考えると本屋さんの数ってすごく多い気がしませんかね?もちろん本屋さんが日本全国平均して散らばっている訳ではありません。
 うちからそう遠くないつくばみらい市では市内に本屋さんがないなんて状況もあったりしますけど、現地を知っている人間からすると、ここはつくばエクスプレス開通前だと本屋さんどころかまともなショッピングセンターすらない地域だったので、そりゃそうかなと。

 今時は本を読んでいる人に比べて、音楽を聴いている人は圧倒的に多い訳ですよね。
 通勤中の電車内を見ていても、本を読んでいる人はすっかり消えましたけど、耳にイヤホンやヘッドホンをかけている人はかなりの数がいます。この全ての人が音楽を聴いているのかはわかりませんが、それを考えても、今では読書をしている人よりも、音楽を聴いている人の方が圧倒的に多いであろうことは想像がつきます。

 で、ここで全国のCDショップ数を調べてみると、本屋さんと違ってちゃんとした統計が見当たらないのですが、日本レコード商業組合に加盟しているCDショップの数は、2010年の時点で約700店だそうで、今だともう少し減っているんでしょうかね?これを先程と同じ2016年の自治体数で割ると、自治体毎に平均0.4店となり、これが多いかどうかは別にして、少なくとも読書と比較して街で音楽を聴いているだろうと思われる人の割合を考えてみると、本屋さんに比べてCDショップは圧倒的に数が少なかったりします。

 もっとも、ここにはCDレンタル店は含まれていませんので、それを加えればCDショップ数は全国であと2,000店くらいは増えるのかもしれません、でもそれを言ったら本にだって図書館ありますしね。図書館は全ての市町村にあるとは限りませんが、ほとんどの場所に存在するでしょう。しかも図書館は無料です。

 話は変わりますが、図書館を利用する度に「音楽と違って読書が趣味の人って行政からこんなに優遇されちゃっていいのかな?」なんて思ったりします。時には出版社や著者の方が気の毒に感じる事もありますが、こういうシステムなんだから、もちろん私もありがたく利用させてもらってます。この週末も敢えて品のない書き方させてもらうと、金額にして11,800円(税別)分の本を借りてきました。うち2冊はもう読んだので、明日にでも予約済みの別な本と貸し出し交換してきます。これ全部無料ですよ!すごくないですかね。実は街の本屋さんの閉店が加速してるのって、こういうやりすぎとも思える行政の図書館サービスにも一因がある気もしますが、このシステムは出版関係者から叩かれてるの見たことないです。一部のベストセラー本以外は公費での図書購入も出版社にとっては重要な売上だからなんでしょうけど。

 脱線しましたが、友達に出版社に勤めてる人とか、ライター業やってる人とか、漫画家さんとか、そういう人達がいますので、あまりこういう事を書くのもアレかもしれませんけど、やはり統計で見ると、まだ本屋さんって多すぎるんだろうなと思います。

 こういう事書くと「おまえは街の書店がなくなってもいいのか?」なんて怒る人もいるんでしょうけど、全然そんな事はないです。というか、昔は旅行先で本屋さんに寄るのが大好きでした。
 ただ、最近ではあまり積極的には寄りません。何故なら日本全国何処でも本屋さんに並ぶ本が同じになってきたから。もちろん、POSシステムを使って売れる本だけを並べるってのは、短期の視点のみで考えれば正しいんだろうなと思います。売れる本を置けば売上立ちますからね。

▼2018年03月08日

閉店が迫った松戸伊勢丹へ

P3081246 今日会社を休んだ訳は、閉店が近くなった松戸伊勢丹へ母親を連れて行ったからだったりします。

 松戸伊勢丹といえば、埼玉県の東部に住む田舎住民からするとまさにメトロポリタンな松戸に燦然と輝く一流百貨店で、大げさと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、まともな鉄道すらないこの地域の住民からすると、自転車に乗って30分で到達できる一番身近な都会だった時代もあったのです。

 もちろん、子供の頃は親に松戸伊勢丹へ何度も連れて行ってもらいましたし、中学生の頃は友達の付き添いでガンプラ買うための行列に並ばされたり、松戸伊勢丹近くの映画館で当時封切りになった伝説巨神イデオンを友達同士で見に行ったり、当時伊勢丹の近くにあった「わらそう」というオモチャ屋にシミュレーションゲームを買いに行ったりと、私の子供の頃にとって松戸といえば都会、松戸といえば伊勢丹という固定観念が今でもあるのです。

 余談ですが数年前には女の子と松戸のまど☆マギカフェにデートで出かけたり、その後は松戸にある女子大にも仕事で潜入したりと、松戸は大人になってからも何かと縁を感じる街だったりします。

 で、その松戸のランドマークである松戸伊勢丹が閉店すると聞いて、母親が閉店前に一度行ってみたいと言っていたので、今日は会社をサボって、閉店セールの中、母親と松戸の伊勢丹へ出かけたのです。というか自分のMGFに親を乗せるっての、もう10年ぶりくらいではあるまいか?

 現地には10:30頃到着を目処に出かけたのですが、なんと平日の朝から駐車場は満車になっていまして、入庫までに15分位待たされました。
 その後はとりあえず最上階のレストランフロアに登って母からトンカツをごちそうになります。母はなんでも月に1度くらいの頻度で松戸伊勢丹上のトンカツ屋さんにきていたようで、店では馴染みの店員さんとお別れの挨拶をしていました。

 その後は上から順に各フロアを回ります。自分はこういう百貨店巡りが全く苦にはならない(というか旅行中では単独で地方百貨店を徘徊する趣味があるくらいだし)ので、ゆっくり売り場を見てていいよと言ったのですが、親としては子連れで落ち着かないのか、いくつか馴染みと思われるお店の店員さんへ挨拶に回っただけで、やや足早に1Fまで降りてしまいました。自分に遠慮してたのかな?と思ったので、もう一度エレベーターで8Fまで戻って、ジュンク堂脇の店内カフェで休憩してから、再度売り場を回ります。

 途中でハンドバックを欲しそうにしていたので買ってあげて、お返しに母親からはジャケットを買ってもらって、最後はB1の食料品売り場で食材を買って、伊勢丹を後にしました。
 駐車料金を精算するときに時間を見たら、なんだかんだで5時間くらいは松戸伊勢丹の中にいたので、それなりにデパートを堪能したといえるかもしれません。

 松戸伊勢丹の閉店は3月21日。もう自分が行くことはないと思いますが、伊勢丹がなくなると松戸という街自体、もう行くこともなくなるだろうなぁ…なんて思いながら帰路につきます。自分にとっては、物心ついた最初のデパート体験が松戸の伊勢丹でした。長い間おつかれさま。

P3081266
↑モリナガヨウ先生「東京右往左往」より。
埼玉県人にとっての松戸ってまさにこのイメージでした。


iPhone7 Plus / OLYMPUS E-M1 + M.Zuiko Digital 7-14mm F2.8 PRO


▼2018年03月06日

MADE IN ABYSS Original Soundtrack Vinyl Limited

https://farm5.staticflickr.com/4667/39751528955_538f2097f0_m.jpg 注文したのは去年の秋だったと思いますが、メイド・イン・アビスのオリジナルサウンドトラック、アナログ版が今朝ゆうパックでイギリスから届きました。

 お値段は本体$35で日本までの送料が$10.60。日本円だといくらで決済されたかもう覚えていませんが5,000円はしなかったと思います。最近の国内復刻レコードがもはや5,000円位することを考えると割安ですね。

 当初は500枚限定プレスのクラウドファンディングだったようですが、結局〆切りまでに注文した人分全て、843枚のプレスを行ったようです。

 このレコード、2枚組ではありますが、日本製レコードでよくある中割れ式のジャケットではなく、そのまま普通のジャケットにレコードが2枚入っていました。中にはライナーノーツ、ジャケットイラスト入りのQRATESカードが封入。まだ音は聴けていませんが、盤面は鮮やかなグリーンでカッコイイ!。

 音楽は、ケビン・ペンキンというオーストラリア人。このアニメの他にも日本でゲームとかアニメ関係の音楽をいくつか担当しているらしい。メイド・イン・アビスのサントラについては、ハイレゾ版も買って聴いているのですが、なかなか雰囲気がある音楽です。ゾンアマのレビューでも100%★★★★★の大絶賛ですな。アナログ向きの音楽かといわれると微妙な気もしますが、レコードプレーヤーで聴くのが楽しみです。実際針を落とすのは週末になるかなぁ?

 昨今のアナログブームで、さまざまな音楽がレコードで復刻されるのがちょっとしたブームになっていますが、個人的には往年の名曲をアナログで復刻するのはどうでもいいので、このように中古で存在しない、過去にもアナログレコードでリリースされたことがない音楽にもっと製造リソースを割いてほしいものだと思いました、かしこ。

iPhone7 Plus


▼2018年03月05日

ちちぶでぶちち

P3041031 アニメの影響ではありませんが、以前からブロンプトンで秩父には行ってみようと思っていまして、今シーズン花粉の飛散がひどくなる前に出かけるかなと考えていたのです。で、先日はお日柄もよくというか、もう少し寒くても良かった気がしたのですが、無事秩父方面ツーリングに出かけてきました。

 家から秩父方面って実は結構出かけやすい。草加駅より東武伊勢崎線にのり羽生駅下車、そこから秩父鉄道に乗り換えます。羽生から終点の三峰口駅までは片道1,050円かかりますので、運賃節約のため1,440円の一日券を購入。一日券を使えば草加から秩父の三峰口まで片道1,300円くらいで行けてしまうので、ウチから秩父地方は距離の割に案外電車賃がリーズナブル。

 日曜朝7:05分草加発の館林行き区間急行に乗り、羽生駅到着が8:00前くらい。駅で一日券と急行券を購入して、そこから8:18発の秩父鉄道の急行に乗車。秩父鉄道の急行列車は、ふかふかクッションの対面クロスシートで、三峰口までの1時間半以上の乗車時間を考えると充分元が取れるものです。急行という割にはあまり早くないですけど。

P3040991 三峰口の駅に到着したのが9:54分。この列車だと登山用途には遅いのか、車内はあまり混んでいませんでしたね。

 急行を下車して改札で一日券を見せて急行券もポケットから出そうとしたら、駅員から「200円払って」と言われ、なるほど…急行券のことを言っているのかなと思ってポケットから急行券を出したら改札を通れました。
 しかし「急行券は?」と聞くならともかく、いきなり「200円払って」というのは実に感じ悪いですね。慣れていない人や外国人観光客などはよくわからないで200円払ってしまうケースもありそうですがそれを狙っているのかも。悪質な物言いだと思いますので、急行下車後の三峰口の駅員には充分注意して下さい。当然ながら事前に急行券を買っていれば駅員に200円を渡す必要はありません。

 さて、駅を出ると駅前には桜沢みなのちゃんがお出迎え。それが冒頭の写真です。
 空は雲ひとつない晴天でしたが、微妙に気温が高い。この時期なので気温はそれなりに低いのですが、上着を着るかどうか微妙なラインですね。このまま鉄道沿いを下って秩父方面に行ってもいいのですが、何となくですが小鹿野町方面へ抜けてみようかと思ったので、前半の登りに備えてシャツ1枚で走る事にしました。

P3041055 県道37号線を登っていってしばらくすると見えてくるのが双神トンネル。なんでも埼玉県が管轄するトンネルでは一番古いモノらしく、竣工が昭和18年とのことです。そんなに長いトンネルではないのですが、古い時代に作られたせいかトンネル幅が狭いので、中で車同士のすれ違いができません、注意して下さい。
 坂を登ってきて体温上昇中ではありましたが、このトンネルに入るとひんやりします。さて、ここからは下りです。

 割と緩めの坂をダラダラと下っていくと、近藤銘醸のある市街地に入り、更に進むと道の駅両神温泉・薬師の湯という施設が見えてきます。とりあえず寄り道して、奥にある地域資源活用センターという場所で、ここの施設本来は蕎麦打ち体験施設として使われているようですが、1日限定で普通に蕎麦も食べられます。せっかくなので昼食にしました。

P3041074 普通盛りだと少ないとの話だったので大盛を選択。そばは比較的香りが強め、極上とは言いませんけど、なかなかのものでした。しかし…この場所に蕎麦打ち体験に来るかと言われると、ちょっとね(笑)
 まぁ、施設内には温泉もあるし、1日使うつもりで楽しむならアリなのかな?両神山登山の帰り道などにはありがたい温泉とお蕎麦屋さんかもですが、そういう時間でまだ蕎麦が食べられるのかは疑問。以前両神山に登った時は気が付きませんでしたが、そもそもこのルートではなかった気もします。

P3041105 その後は小鹿野町中心街へ、小鹿野町といえば通過したことは何度もありますが、こうやって市街地を散策したのは初めてです。
 街並みは想像以上に趣があり、中心部には三階建てのちょっとしたデパート風ショッピングストアも見られ、昔は結構栄えていたのかもしれませんね。ウィキペディアによると、小鹿野地区は県内でもいち早く教育・交通・産業の振興など各分野で近代化が進められ、西秩父地域の中心地として発展してきた。とありますから、当時は秩父地区でも有数の栄えた街だったのかもしれません。

 昨今のモータリゼーションの影響か、少子化の影響下はわかりませんが、メインストリート裏には廃屋や空き地も見受けられ、今では他の地方都市同様徐々に衰退に向かっているようです。
 ただ、他人事だからいえるのかもしれませんが、こういう「人類は衰退しました」系というか「ヨコハマ買いだし紀行」系というか、こういう穏やかな文明の後退的風景は見ていて悪くないなとも思います。これは私がまだ移動の自由と生活できる仕事と経済力を備えているからの視点な訳で、ある意味無責任な感情ではあるんでしょうけどね。

P3041087 もっとも町民のみなさんは当然ながらただ衰退を待っている訳にもいかず、最近の小鹿野町は町おこしの活路を二輪ライダーに見いだしています。
 今ではウェルカムライダーズおがのというWebサイトを立ち上げて、ライダーに優しい街づくりを目指している模様。たしかに小鹿野町付近には走っていて気持ちよさそうな峠道が沢山ありますし、クルマも少ないのでバイクには乗りやすそうであります。

 町内には至る所に「ウェルカムライダー」のロゴが貼られていて、更にバイク用の駐輪施設もきちんと備えられている場所が多いです。私も小鹿野町に行って「イヤにオートバイ多いな…」と思っていたら、市街地中心部に行って疑問が解けました。そういえばこの辺の場所ってマンガのばくおん!!でも取り上げられてた気もしますし、わらじカツ丼のお店も町内のあちこちにあったな。

 さて…小鹿野市街も堪能しましたし、次は秩父市へと向かいます。
 小鹿野町から秩父市に抜けるルートはいくつかありますが、基本は長尾根丘陵を越える必要があるため、どうしても峠を越えなければいけません。その中でも自分は何を勘違いしたのか、一番キツいであろう長尾根峠ルートを選択。頑張ってブロンプトンで乗車して登ってきたのですが、峠ラスト直前のつづら折りで乗車を断念!ブロンプトンを押して歩くことにしました。

 峠のちょっと手前には秩父ミューズパークなる謎の施設があります。パークのWebサイトから引用してみると…

秩父ミューズパークという名前は、ギリシャ神話に登場する人間のありとあらゆる知的活動を司る女神の名前「ミューズ」(英語ではMuse)にちなんで名づけられています。
この女神たちは、天地全能の神ゼウスと、記憶の女神ムネモニュネの娘であり、人々から苦しみや悩みを忘れさせ、喜びと楽しみを与え、明日の生活の糧を与える最高の女神であり、芸術、学問を司る女神でもあります。
彼女たちにはそれぞれ役割が与えられ、カリオペは叙事詩、クレイオは歴史、エウテルペは笛(音楽)、テルプシコレは舞楽、エラトは歌謡、メルポメネは悲劇、タレイアは喜劇、ポリュヒュムニアは賛歌、ウラニアは天文を司っています。
後のミュージック(音楽)、ミュージアム(博物館)、アミューズメント(娯楽)などの語もこのミューズを語源としています。
ミューズパークはそのような公園です。

 とあって、なんで秩父でミューズなのかよくわからないところですが、この公園内を走れば長尾根丘陵の尾根を伝って秩父市街の方まで行けそうなので、そのまま公園内をブロンプトンで走って行くことにしました。

P3041116 公園は南北(南西から東北)に伸びていて、想像以上に広く、人で賑わっていました。ここにいる人達全てが秩父市民って訳でもないんでしょうけど、秩父市って何故か埼玉県内でも結構活気がるんですよね。埼玉のチベット(失礼)とかいわれる割には、案外街中にも人が多いし、若い人の比率だって高い気もします。
 それはともかくとして、園内にはこのようなレンタル自転車があって、それぞれ時間貸しされているのですが、家族連れでこういった自転車に乗っている姿を結構目にしました。尾根沿いとはいえそれなりにアップダウンもある中、こんな自転車で坂を登るのは地獄な気もするのですが、みんな大丈夫なのでしょうか?自分は絶対にやらんぞこれ。

 園内は人も多いし子供連れが沢山いますので、ノンビリ時間をかけて南口から北口まで縦断。ここからいよいよ秩父市街へ降りることにします。

P3041137 下りは秩父公園橋まで一気に下ります。しかし…スゴイ規模の吊り橋ですね。さらに珍しいと思うのですが、橋自体がかなりの急坂になっており、秩父側から自転車で渡るのは結構大変じゃないかな。当日もカップルがレンタサイクルみたいなので秩父側からこの橋を渡りに来ていましたが、ひぃひぃいいながら登ってきています。ただ、その後を自転車に乗った女子小学生(?)2人組が、割と涼しい顔で登ってきていましたので、これも慣れなのかな?
 ちなみにアニメでお馴染みのあの花大橋は、旧秩父橋といい、ここから1Kmくらい北にあるようです。

 さて、秩父市内に入ったら、とりあえず矢尾は外せないでしょう。とくにかも食品の焼きそばはおいしいんだよね!もちろん購入。ブロンプトンでなければ屋上とか登ってみたかったけど、ここはがまんして市内散策へ。

P3041157 その後は西武秩父駅から秩父鉄道の秩父駅の間をブロンプトンで適当に徘徊しました。全て紹介するとキリがないので省きますが、こちらは秩父市内散策では必ずといっていいほど取り上げられる、角が丸い商店。昔はたばこ屋さんだったそうです。
 このように市内にはモダンな雰囲気がある建物がいくつか点在しています。このメインストリートには観光客も大勢いました。これもブラタモ効果かな?秩父市は何度か来たことがあるのですが、ここまで人はいなかったような…。

 さて、秩父市街も堪能しましたし、後は適当に好きなだけ走って秩父鉄道に乗って帰るだけ。時間もあったのでもう少し秩父盆地を下ってゆきます。

P3041177 次に訪れたのは、皆野町の旧矢尾。みなののやおと言えば去年の夏に閉店してしまったんですよね。近年は家具専門店になってしまっていたので、地方百貨店ファンの自分もなかなか足が向かなかったのですが「いつまでもあると思うな親と地方の百貨店」ですかね。
 ちなみに矢尾の家具売り場は、本店の矢尾横にあったカルチャー館がなくなって家具売り場が移転してきています。

 矢尾の市街もかつては結構人通りが多かったんだろうなと言う雰囲気です。人通りはありませんが、道の作りや街の構造が、モータリゼーション前の濃密だった空間の面影が残っています。
 せっかくなのでみなのやのの隣にあった味の店ヤマブというお店に寄って、秩父味噌を購入してきました。

P3041218 さて、ここで時間は16:00を過ぎていますので、とりあえず長瀞まで走って終わりにしましょう。皆野駅から長瀞駅まではブロンプトンで10分程度。長瀞駅前はすっかり今風に開発されていて、ここは軽井沢か?ってなもんの賑わいでした。人も多いしオシャレな山ガール(古い)風な女性も沢山います。

 ここから帰りも急行に乗って帰ろうかなと思ったのですが、登りの急行は熊谷駅までしか行かないようで、それに急行料金払うのもアホらしいので、その後の16:28分発各駅停車に乗って羽生駅まで戻ります。そこから東武伊勢崎線に乗り換えて草加駅まで。

 BeeLine Naviで算出した当日の走行距離は、およそ70kmくらいとなりました。

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↑秩父市内は今でも「あの花」圧がつよめ。

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▼2018年03月01日

日本の宇宙戦艦は何故超弩級が多いのか?

 子供の頃から疑問に思っていたことです。

 昔心をときめかせたSF小説やアニメ、映画に登場する宇宙戦艦(ここでいう「戦艦」とは軍事用語としての戦艦ではないです、念のため)、例えば宇宙戦艦ヤマト機動戦士ガンダム、そして伝説巨神イデオンや、はたまた銀河戦国群雄伝ライwなどなど、国産SFに登場する宇宙戦艦は、全て大型で同口径(と思われる)の砲塔を進行方向軸線上に備えています。
 それに比べ、子供の頃は疑問と感じていなかったのですが、当時テレビ放送されたアメリカSFに登場する宇宙空母ギャラクティカや、スタートレックのエンタープライズ号、そしてお馴染みスターウォーズの敵役であるスターデストロイヤーなどは、強力な武装を持つという設定はありますが、国産SFの宇宙戦艦みたいに、わかりやすい砲塔を備えていません。特にギャラクティカやスターデストロイヤーなど、ゴチャゴチャした船体表面の適当な位置に小型?の砲塔が多数配置されているだけのように見えて、子供心に「こんな貧弱な武装ではガミラス艦にすら勝てないのでは?」なんて思っていたもんです。実際はどっちが強いのかは知りませんが。

 そして、大人になってそれらの宇宙戦艦について考えていたときに、ハタと気が付いたことは「超弩級」というキーワード。ちなみに皆さんご存じだと思いますが、超弩級とは、1906年に浸水した大英帝国HMSドレッドノートを越える戦艦という意味。元は軍事的な用語ではありましたが、当時の海軍関係者があまりにも口にするため、そのまま一般用語になりました。
 そういえば子供の頃国語の先生が「超弩級という言葉はという弓を越える凄さという意味で…」と言っていたので、自分は「え?超弩級の弩はイギリス戦艦ドレッドノートの意味ですよ」と反論したのですが、認めてくれなかった事がありましたね。ま…どうでもいいのですが。

 で、ドレッドノート級が進水+就役した時代というのは、日本でいうと明治の終わりくらい。日露戦争が終わった頃でもあります。日露戦争と言えば二百三高地での激戦も有名ですが、日本国民を熱狂させたのは、東郷元帥によってロシアバルチック艦隊を壊滅させるという大戦果を上げた日本海海戦でしょうか。あの当時は日本の国民でも海軍力やその主役でもある戦艦が脚光を浴びていた時期でもあります。そんな時代にイギリス海軍は、全世界の戦艦を一挙に二世代以上古い艦にしたとも言われる、ドレッドノートという戦艦を誕生させました。

 ドレッドノート級の登場は、世界の海軍関係者に衝撃をもたらしました。ドレッドノート級の何が優れているか?というと、色々ありますが大きなポイントは…

・主機に蒸気タービンを採用し、大型戦艦ながら最大船速20ノット越えを達成した。
・武装は単一口径の主砲塔5基を移動方向軸線上に配置し、片舷射撃において火力の集中が可能になった。

 という点でしょうか。
 わかりやすく言えば、私達日本人が「戦艦」と言われてパッと頭に思い浮かぶあの形を始めて作った戦艦となります。

 ではそれ以前の近代戦艦はどうなのか?というと、主砲はもちろん大型の砲を備えているにせよ、その回りには副砲、小型砲、速射砲などさまざまな種類の砲塔を備えていて、敵との戦闘が始まると、長距離からの打ち合いではなく、素早く敵の懐に潜り込み、多数の砲塔で敵艦を穴だらけにするという戦術が基本でした。
 そのため戦艦には多数のさまざまな砲が搭載されていて、当時も主砲に当たる大型砲は装備されていましたが、まともな射撃管制もなく砲の製造精度も低かったため、実戦ではほとんど当たらず、あらかじめ小型砲で敵の反撃能力を奪った後に、近づいて直接照準でとどめを刺すための兵器として運用されていたようです。
 日露戦争より前の日清戦争で、清国の戦艦定遠鎮遠が当時としては30.5cmなどという大型砲を装備しているのにもかかわらず、実戦では全くといっていい程役に立たなかったようですから、当時の戦艦に装備されている大型砲とは、“飾り”的な要素も多分にあったようですね。それと実情を知らない役人や国民はデカい砲塔備えてるってだけで大喜びしますし、戦艦建造予算も取りやすくなるという事情もあるでしょう。

 ドレッドノート級は当時のその状況を覆し、精密に製造された複数の大型砲塔を前後軸線上に配置し、高度な射撃管制と共に、長距離でもちゃんと命中を得られる大型砲による集中射撃を行い、敵が近づいてくる前に撃沈してしまおうという、いわゆる大艦巨砲主義の走りとなる戦法を前提とした戦艦として誕生します。

 ドレッドノート級の出現以降、世界の戦艦はスタイルが一変します。イギリスはもちろん、アメリカ、フランス、ドイツ…戦艦を運用している国は、全てそのスタイルをドレッドノートに習った形に変化させます。
 ちなみに日本の高速戦艦、金剛比叡榛名霧島の4隻は、ネームシップの金剛がその時期のイギリス製である事から、非常にドレッドノート級に近いスタイルとなりました。特に金剛の改装前初期型は、船体の形などドレッドノートにそっくりだったりします。

 前振りが長くなりましたが、つまり、日本のSFに登場する宇宙戦艦のほとんどは、そのスタイルと発想が明治の終わりに登場したドレッドノートそのものなんですよね。
 では何故なのか?と考えてみると、日本人にとっての戦艦というのは、実質超弩級型の戦艦しか目にできなかったからではないかと思うのです。

 日本以外の例えばアメリカでは「戦艦」といっても、さまざまな時代があります。例えば大航海時代以降の列強戦艦といえば「戦列艦」と呼ばれる形式、帆船時代の船ですね。日本にはこういった帆船の戦艦を運用していた時代がないのであまり知られていませんが、欧米では今でもファンが多いジャンル。甲板を何段も重ねて横向きに大砲を多数搭載、全盛期は120門艦なんて船もありました。
 この時代の海戦とは、まずは風の向きを読んで敵艦隊より風上の位置を抑えてから敵の移動の自由を奪い(風上を自軍の帆船で埋めてしまえば敵は帆に風を受けられなくなる)、単縦陣とよばれる船を一直線に並べた陣形で接敵し、横弦に針のように配置した大砲で沢山の命中弾を与えるという戦法。当時の大砲の弾は炸裂弾ではなかったので、物理的に鉄の弾の運動エネルギーで敵艦の構造物を破壊する必要があり、それこそ雨あられのように命中弾を与えなければ、敵艦を沈黙させることはできませんでした。

 その後、風向きに囚われない蒸気戦艦が登場したりしますが、基本は細かく多数の大砲を横弦に装備して多数の命中弾を与えるというスタイル。炸裂弾も登場し始めますが、初期では製造と管理が難しく、雨あられ…という形で打ちまくる訳にもいきませんでした。

 それに比べて、私達日本人は大航海時代を経験していません。大航海時代どころか江戸時代に至っては、大型の竜骨や複数のマストを持つ船舶の建造が禁止されました。そのため始めて日本人が目にした船艦と言えば、ご存じ黒船、ペリーが乗る最新鋭の蒸気戦艦。その後幕末期に日本は数隻の外洋船を入手しますが、実際に日本人の手で艦を運用した大規模な海戦と言えば、日清戦争が始めてでしょう。
 その頃の戦艦はまだドレッドノートスタイルではありませんが、日露戦争を経て大正時代の好景気時代に就役していた日本の戦艦は、どんどん超弩級になってゆきます。日本人が「戦艦」というスタイルを認識するようになったのは、その時代が初なのではないかと。

 で、アメリカのSFに登場する宇宙戦艦って、基本は帆船時代のイメージなのかなと思います。多くのアメリカ人にとっての戦艦とは、日本人が思う超弩級の戦艦ではなく、そのもっと昔、帆船時代の戦列艦をイメージしているのかも知れません。

 なぜそうなのか?それは元々SFにおける世界観というのが、日本製SFとアメリカ製SFでは大きく違うからではないかとも考えるのですが、その話は長くなるのでまた今度にでも。
 
Dreadnought
 


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