災害発生時のライフラインとして道路は必要か
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最近では道路、ちょっと前だとダムについての建設理由で割と語られるポイント。つまり、災害発生時の連絡道として複数の広い道路が必要。大規模な水害(100年に1度の割合で起きる大規模な…なんてのもあった)から地域住民を守るために、ダムが必要…など。
誤解を恐れずに言わせてもらうと、つまりその手の災害に備えて道路やダムを造るのなら、いっそのことそれらのインフラが必要な人達をもっと安全な場所に引っ越させるほうが、遙かに安上がりでその後の維持費もかからず自然環境も守られて合理的なんじゃないかと思うのだが、如何だろうか。
昔長野県での「脱ダム宣言」に反対していた役人が言っていたのだが、山奥のダム建設予定地で、「この村落(人口数十人)をより安全に守るため、100年に1度の大水害が起きても大丈夫なようにダムを造る必要がある」といっていた。ちなみにそのダムの建設費は数百億円。より安全な…というのなら、その村落の住民に建設費を頭割りで渡した方が、都会の豪邸に住めてより安全な生活が送れると思うのだが、如何だろうか。
もちろん、全てが全て無用な道路だというわけでもないだろう。ただ、日本国民が消費するガソリンからリッター当たり25円もの税金を払ってまで造り続けなければならない程、既に日本は後進国でもないと思うのだが、如何だろうか。
無駄遣いを減らすには、小遣いを減らすしかない。借金を返したければ浪費を制限するしかない。そういった単純で当たり前のロジックなのに、行政改革を唱えている人達は何故小遣いを増やして借金を増やして財政の健全化が可能だと思っているのか、全く持って理解に苦しむ。
追加だが「余計なお世話」という言葉の意味をはき違えているのでは。
「余計なお世話」を受けたくなければ、その自治体の予算範囲内で行うべきだろう。今行われているのは「ガソリン暫定税率」という「余計なお世話」を廃止しようという議論だと思うのだが。