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コダクロームの思い出

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080312-01.jpg もう現像できないコダクローム25の束。さてどうしようか…。

 コダックの感度25のフィルムというのは特別な思い入れがある。というか、むしろフィルムに思い入れというより、そのISO-25という低感度のおかげで撮影時色々苦労や工夫を強いられた…という事の方だろうか。
 そんな事をしながら現像に出してあがってきた写真の粒子のなめらかさ、階調の豊かさにはいつも驚いていた。最後にこのフィルムを使ったのは、もうひょっとしたら前世紀…なのかもしれないなぁ。最後に使った頃では、もうフジとかのISO-100のフィルムでも充分細かい粒子で階調も豊かで、正直ちょっと使いにくいし、ISO-25という感度にこだわる時代でもないのかな…なんて思ったりもした。それに、その前世紀末くらいでは、既にISO-100は低感度フィルム扱いされ始めていた時代だったしね。

 ちょっと前に冷蔵庫から出して、もう冷蔵保管している理由もなくなったので何となくオブジェ風に飾っている。アメリカではまだ現像ができたりするのだろうか。いずれにせよ、もう永遠に光を受ける事のないフィルム達…、見る度にちょっとだけセンチな気分になるね。

OLYMPUS E-410 + Zuiko Digital 35mm F3.5 Macro

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