政治を語るのは鬱陶しい
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日本では、普通の会話で政治を語るのは、一般的に鬱陶しいとされている。ちなみに女に政治を語ると本気でウザがられる。会話以外でも、たとえば自身のブログで政治を語ったりすると「何も判っていないくせに」とか「軽々しく語る問題ではない」とか批判がきたりする。
思うに、今の日本の政治家が、国民を見ず、特定権利団体や特定外国人団体の顔色ばかりを見ているのは、私たち一般の国民が、選挙にも行かないし政治も語らないからであろう。私は行ったことないので知らないが、たとえばイタリアのカフェなどでは、男性二人が揃うとすぐ政治の話になるそうだ。そこまで極端なのはともかく、一般論として「政治を語る男はダサイ」という風潮を作ったのは誰なんだろう。おそらくマスコミや、国民にあまり政治を語られると困る政治家達か?
ちなみにポリシー【policy】という言葉が、元々政治用語だと理解している大人も少ないのではないか。本来は、おまえらの「目標」とか、個人的に「なりたい自分」を語る言葉ではないぞ。「俺のポリシーは女に優しく…」などと言っている場合ではない。
で、今回の新内閣は「安心実現内閣」だそうである。安心実現の中には、消費税増税派の閣僚が多数を占めるという、安心とは一体誰に向けての安心なのか?と突っ込みを入れたくなる組閣だが、政治家がこのように好き勝手をやる根本的原因は、私たち国民が政治に興味がないという点に尽きるだろう。誰だってそうだが、興味を持ってくれない人のために働く事などあり得ない。
国民の希望…というより、私の政治に対する希望は比較的シンプルで、各種税金を減らして社会保障を充実させ景気を良くすること。つうか、多くの人にとっても突き詰めれば政治に期待することは大体このようなことではないか?
もちろん全てが同時に都合良く実現するなどあり得ないことなので、そのためには耐えなければいけないことなども沢山ある。ただ、今の政治家、与党野党全て含めてだが、こういった方向を向いて国民のために働いているとは到底思えない。政治に興味のない国民から立候補して政治に興味のない国民から選ばれる政治家達なので、ある意味当然なのかもしれないが。
誤解されるといけないので補足するけど、このエントリーは「政治家」批判ではないよ。