鬱は社会人生活に決定的なダメージを
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以下ウィキペディアの「鬱」より引用。
「興味・喜びの喪失」とは、以前まで楽しめていたことにも楽しみを見いだせず、感情が麻痺した状態である。
以前より症状は治まったとはいえ、相変わらずこのような症状が続いている。特に自宅で行う事、読書などについては、短時間の例外を除き、ほとんど面白いと感じなくなっている。そんな中で、アウトドア系の体を動かす事については、運動を行なっている事による精神の興奮状態が、一時的にこういった症状から回復させる効果があるのではないか。これらは今の私にとって、普段の生活の中で数少ない「喜び」を感じさせられる時間になっている。ちなみにアウトドア系でも、ドライブなど自身の「運動」を伴わない行為については、他と同様減退気味。
まあ、病院で薬をもらって継続的に治療を行えばいいのかもしれないが、保険を使うとどうしても治療内容が会社にバレるし、そのことで以前会社の人達がたいそう気を遣ってくれた事があったりしたのだが、いわゆるこういう精神状態の場合というのはこういう気遣いすらむしろ負担に感じるものなのである。気にするなといっても、気にしない事ができるのなら、そもそもこんな症状にはならないし。
幸い私の場合はセルシンが笑っちゃう程よく効いたので、私の症例はいわゆる「鬱」である事は間違いない。ちなみに薬を飲んでも効かない(直らないではない)という人は、鬱以外の病気を疑った方がいい。ごくまれな例外を除き、薬を飲んで効いている最中、「鬱症状」は必ず改善する。
もっとも「薬が効かない鬱」が増加している訳は、精神的な悩みを抱えて医者に行くと、ほぼ例外なく「鬱」と診断される近頃の風潮も悪い。ちなみに医者が悪いんじゃないよ、ある種の患者は「鬱」である事にある種アイデンティティーを感じていたりする人もいるみたいなので、結局「鬱」の診断を出してくれる医者に当たるまで病院をはしごする。
これは、そういう人達への悪口じゃなくて、そういう症状ならきちんとした精神科の診断を受け直すべきだという警告。鬱じゃない人へ鬱の薬を出したって、効く訳も直る訳もない。
話がずれたけど、今の自分の部屋の状態を見ると、つくづく精神を病んでいるなと、自分でも本当にそう思う。
また、タイトルにもあるけど「鬱は社会人生活に決定的なダメージ」を与える事は間違いない。少なくとも仕事に対する意欲なんて、こういう状態で出てくる訳がない。
幸い、私は今失業状態にないけど、次に失業したら、もう人生終わってもいいかななんて、本気でそんな事考えたりするし。
まぁ…これも病気なので、そのうち直るかもしれないが、直った頃には既にまともな人間生活を行う年齢でない可能性もある訳だ。こういうのを含めて、それが人それぞれの人生なのかもしれないけど、少なくとも表題の通り、自分がこのような症状にあると思っている人は、なるべく早く治療を開始しないと、貴重な人生の時間を無駄にするかもしれないよ…という話。更に症状が重くなると、時間どころか人生の電源ボタンを押しかねない事にもなる。
では自分自身はどうなの?って話になるとちょっと答えに困るが、今の状態は、そもそもそのような自分を改善しようという意志がなくなっている状態…だということ。
あと、精神的に弱い人達の多くは、自分がダメだとか不幸だと考える事により、脳に特定のホルモンが分泌され、それがある種の快感を伴うために、そういった状態への中毒症状になっている人も多いという。私もそれかもね。