丁子地区散策
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丁子…と書いてすらすら読める人は少ないんじゃないでしょうか?丁子とは「ようろご」と読みます。ATOKでも一発変換で出てきます。こちらは千葉県の香取神宮東側にある集落です。いわゆる難読地名ってやつですね。
この丁子という町名の由来ですが、この街についての記述がある忘れられた日本の村の著者である筒井功氏によると「丁」は成年に達した男子、働き盛りの男性を意味し、また「よほろ」とも読むそうです。詳しくはその本を読んで頂くとして、つまりは、香取神宮の神輿を担ぐ人達が住む街…だったとのこと。
この一体は、香取神宮から東に1km程?一度丘を降りて水田地帯を行きまた丘が始まる辺りにある集落となります。
ちなみに漢字で丁子と書くと「ちょうじ」とも読みますが、そうなるとグローブの木という意味になります。しかし、この名前はこちらの地名と関係はないようです。
訪れたのは、日曜の昼下がりといった時間で、天気も初夏の五月晴れでカラッと乾燥したよく晴れた日。その印象もあるのでしょうか、適度な里山に囲まれたこの一体は、とてものどかで暮らしやすそうな地域だと感じます。
そういえば、走っていてふと見つけたライステラスというお店がとても雰囲気よさげで、いつかこのお店のテラスでのんびり風景を眺めながらお茶でもできたら素敵です。
話は変わりますが、延喜式に出てくる三大神宮というと、伊勢神宮、鹿島神宮、そして香取神宮となり、何故かこの地域には、古来よりの三大神宮のうち2つが集中しています。
その理由について今となっては分かりませんが、少なくとも延喜式の時代、この地域の風景は昔と大分違っています。現在利根川とされているこの河川は、かつては鬼怒川の本流であり、また現在水田となっている部分は外浦逆浪の一部となっており、広大な内海が広がる場所でした。ちょうど、今ではこんもりと盛り上がっている丘の部分が半島みたいなイメージでしょうか?
そう考えると、現在の鹿島神宮も、北の鹿島灘から広がる岬の頂点に建立されていますし、香取神宮も千葉側の内海入り口を睨む岬の場所に位置しています。
また、御前にある小さな岬には、いくつかの山城と神社が祭られています。おそらく神社となっている場所は、当時この内海を監視する見張り台のような役割だったのかもしれません。
こちらの鳥居はそのひとつ、玉田神社。今では濃い樹木に覆われて平地を見ることはできませんが、建立されたと言われる1190年当時はまた違ったのかもしれません。
MGFで登って行くにはちょっとためらうくらいの細い道を登ってゆくのですが、そのせいか辺りには人気がなく、なかなか雰囲気があります。
そこから成田線の方に下ってゆき、東に向かうと、側高神社があります。どうやらこの地域にはこの「側高」の名前を持った神社がいくつかあるみたい。先程の玉田神社から少し西、丁子地区の端にも同じ名前の神社があるそうで、そちらは昔、山城として使われていたようです。
さて、丁子地区をくまなく徘徊して、これ以上うろついていると通報されかねない(笑)、程になってきましたので、いよいよ本丸である香取神宮へ。
一応MGFで表側の参道を見て回ってから、裏側の丁子側から本殿へ近づきます。そうすると本当に本殿目の前に駐車場あるのね、しかも無料で。そこにクルマを置いて、香取神宮を見て回ります。
香取神宮はさすが観光地としても有名なだけあって、境内は広く整備されています。最近本殿の修復があったようで、建物はまだとてもキレイで人工的。
あまりにピカピカだとなんとなく御利益が下がっている気もしないでもないですが、これが日本の神社の良いところなのでしょう。定期的に新しくすることで古代からの技術が失われず伝承しているのです。
繰り返しになりますが、かつてこの一体は広大な内海が広がっていました。今水田になっている部分は、ほとんど湖の一部、あるいは湿地帯です。それを前提に、この香取、鹿行地域の風景を眺めてみると、また違った風景に見えるかもしれません。
香取神宮で買ったお守りはハマグリ(ホッキ貝?)の形でした。