BL(武士らいふ)創刊号を入手しました
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…いや、ホントかどうかはわかりませんけど、吉川弘文館では“動乱の東国史”なんてシリーズが出版されたり、のぼうの城のヒットや昨今の山城ブーム…中島卓偉のお城に行こう!って面白いですね…とか、それらの現象が重なり合って、いままで自治体が発行する地方史くらいでしか読めなかった東国武士の歴史も、大分メジャーになってきました。
そんな中、去年の夏頃だったかな?密かに出版された同人誌「BL」…というと、アレな本みたいでなんですが、武士らいふという同人誌。
昨今は同人誌といってもジャンルが多様で、このような読み物系同人誌も増えているのですが、本誌が珍しいのは付録にシミュレーションゲームがついていること。
きちんと打抜き加工されたカウンタとか、これ印刷代高そうとか業界人っぽい余計な心配をしてしまうのですが、ゲームはその名も「羽根倉合戦」といいまして、1351年の南北朝時代に、今の埼玉県荒川にかかる今の羽根倉橋付近で行われた闘いだそうです…って、知らねーよなそんなの(笑)。自分もこの本の案内があるまで、県民のくせに全く知りませんでした。
この時代の東国…関東平野といえば、見渡す限りの葦の原。はっきりいって人なんて住んでるの?みたいな世界でした。
以前のぼうの城でお馴染みの埼玉古墳群までブロンプトンで出かけたことがあるのですが、その帰り道で田舎道をのんびり走っていると、途中葦に覆われた一帯が出てきまして、なるほど…江戸時代より前、中世以前の関東平野ってこんな風景だったんだろうな…などと考えながら走っていたことがあります。
実際、江戸時代の前の関東の村といえば、埼玉県では川越以西と大宮付近、北は群馬県の足利辺りまで大きな都市はなく、東に至っては見渡す限りの葦原で、その中に下総台地がまるで半島のように突き出ていました。
利根川も荒川も今みたいに堤防があってきちんとした川筋があった訳ではなく、適当にその辺を流れていたという感じ。なので大雨が降れば下流は湿地帯と化しますし、家を作ろうにも雨期にはすぐ水に囲まれてしまいます。個人的にこのような東国の水運・交通史には興味があり、このブログでもいくつかエントリ書いていますが、つまり関東平野は今と全く違った風景だったということ。
資料が残っているのかわかりませんが、おそらく当時の西日本の都の人達と、関東の東国に住んでいる人では、人種的にも少し違いがあったかもしれません。鎌倉時代の武士とか背が高かったなんて話もありますし、また鎌倉時代の武士道とは、今私たち日本人がイメージする武士道とは全く異なり、目的のためには手段を選ばずな考え方です。卑怯とか何だとか気にせずまずは勝たねばご主人様に奉公も叶わず、といった極めて実践的な思想だったりしました。
それはともかくこのBL…武士ライフ、同人誌として、東国武士好き…それもおそらくかなりのマニアじゃないと知らないような戦闘を題材にしたシュミゲを付録(正直ゲームと本どっちが付録かわからんが)にして発行されるという噂はシミュ友から聞いていて知ってはいたのですが、なかなかフロンティアな分野に挑むなぁ…なんて思っていたら、通販開始して割と瞬殺だった模様。ひょっとして富士見市とか朝霞市付近のシミュゲファンが全て買い漁ったのではないか?というくらい綺麗に消えましたね。オクとかでも見たことないです。
そんな発行元でも本当に在庫がないという同人誌、ふとツイッタラーを見ていたら、この武士ライフ発行人が「ここどこ」などというクイズを出題しておりまして、結構日数経ってたようなのでアタリ出ているかな?と思いつつ解答したらなんと私が初当てだったらしく、プレゼントで頂いてしまいました!ありがとうございます。
まだきちんと内容も読んでいませんし、付属のゲームもプレイしていないのですが、観応の擾乱についてはまずきちんと本を読まんとダメだな。なんて考えています。なにせ記事を読んでも登場人物誰も知らんw状態なので。
第2号は結城合戦が題材だそうで、これも知らん!wといった内容なのですが、結城市内は何度も出かけていますので、正直羽根倉合戦よりは興味あるかも。
今まで、シュミゲは好きで本ブログでも何度か取り上げているのですが、別な興味から調べていた東国史とこのような形でリンクするとは、久しぶりにインターネット経由で知の連鎖を実感できた気がしますね。ありがとうございました。
この写真は今年の冬に友達と出かけた、羽根倉合戦時に難波田勢の居城だった城跡を整備した難波田城公園。今では城跡公園というより、埼玉県の古民家・古民具を紹介した公園といった趣。昔ながらのオモチャで遊べる広場もあって、そこで数十年ぶりにホッピングとか楽しんできました(笑)。